●12月27日礼拝メッセージ要旨(ルカ8:1~15)

   イエス様が、町々、村々を旅しながら、神の国を説き、福音を宣べ伝えておられたとき、同行した十二弟子と女性たちのこと。そして、四つの種のたとえ話の記事からポイントを三つあげて学びましょう。  
   ①イエス様のお供たち…イエス様の地上生涯はおよそ33年でした。公生涯としては約3年半です。その短い期間にイエス様のお供をした12弟子と女たちは幸いな人たちと言えるでしょう。今日、イエス様は天の父なる神の右の座におられますが、この地上においては、聖霊によって、イエス様の名によって集まる所、すなわち教会などにご臨在されます。そして、イエス様を信じる一人一人の心の中にもおられます。ですから、今日、イエス様のお供をしたいならば、聖霊様の臨在する教会に集い、イエス様を心に迎え入れ、聖書のことばを土台にして歩むことです。
   ②実を結ばない種…道ばた、岩地、いばらの中、それぞれに蒔かれた種は実を結ぶことはありませんでした。A.道ばたに落ちた種とは、悪魔にみことばを奪い去られる人のことです。悪魔の喜ぶようなことをして悪魔との関係を断ち切れないでいる人の心にはみことばが留まることがありません。悔い改めて、イエスの十字架の血によってきよめられ、みことばが心に留まる体質にしていただきましょう。B.岩地に落ちた種とは、迫害や試練に弱い人のことです。初代教会のクリスチャンたちは迫害を受けた後「(イエス様の)御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜んだ(使徒5:41」」とあります。C.いばらの中に落ちた種とは、この世の心遣い、富や快楽に惑わされる人のことです。神よりも世を愛する人は結局、信仰をも失ってしまうでしょう。「世と世の欲は滅びます。しかし、神のみこころを行なう者はいつまでもながらえます。(第一ヨハネ2:16)」
   ③百倍の実を結ぶ人…この世では、外見や数字で評価を受けるものです。ですから、どうしても私たちは人との比較の中で、誰それより優っているか劣っているか、というような見方をしてしまうものです。創造主である真の神は、私たち一人一人を世界でたった一人の個性ある唯一の存在として創造されました。ですから、私たちは人まねしなくてもよいのです。あの人のようになろうとか、あの人を目標にして頑張ろうとすること自体がそもそも間違っているのです。自分自身を生きるのです。そうです。創造主である神が、その人にさせようとしている生き方を見つけて、そのように生きることが最善な生き方です。もちろん、自分勝手な生き方ではなく、聖書のことばを土台とし、みことばをよく聞いて、それを守り、よく耐えて、真の意味で百倍の実を結ぶ者とならせていただきましょう。

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