●2016.3.20礼拝メッセージ要旨(ルカ9:51~62)

   ルカ9:51~62から、「御顔をまっすぐ向け」という題で、ポイントを三つ上げて学びましょう。
   ①御顔をまっすぐ向け…イエス・キリストは、何のためにこの世に来られたのでしょう。人々を教え、病をいやし、死人を生き返らせ、パンの奇跡を行ない、湖の上を歩き、嵐を鎮めました。しかし、それらはイエス様がこの世に来られた究極的な目的ではありません。イエス様は、エルサレムにおいて十字架で殺されるために来たのです。それはイエス・キリストを信じるすべての人の罪の身代わりに十字架で罰を受けるためでした。イエス様は、その目的のためにサマリヤ経由でエルサレムに向かって行ったのです。ところで、私たちはどうでしょう。人生の究極目標をどこにおいて歩んでいるのでしょうか。この地上における偉大な目標を持っていたとしても、最後は墓場です。結局、墓場を究極目標とする人生となってしまいます。確かに肉体は墓場に埋葬されますが、霊魂は永遠に生き続けます。永遠をどこで過ごすのでしょう。イエス様の十字架の救いを信じて、罪赦され、神の子とされ、永遠の天の御国を究極目標とする人生に変えていただこうではありませんか。
   ②どこにでもついて行きます…イエス様のあとをどこにでもついて行くと言った人に対し、イエス様は「人の子には枕するところもない」と言われ、暗に、自重を促しています。ペテロも、捕らえられる前のイエス様に対し、「私は決してあなたにつまずきません」と言ったのですが、結果は、三度も「知らない」と言ってしまいました。マタイ5:37には「誓ってはいけない」とあります。私たちは、大口やホラを吹くことはないよう気を付けなければなりません。そうかと言って、あまり小さく固まりすぎてもいけません。マルコ16:15には「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を述べ伝えなさい。」とありますから、大きく世界に目を向けつつ、それぞれに与えられた使命に忠実であるべきです。
   ③うしろを見ない…今度は逆に、イエス様は別の人に「わたしについてきなさい」と言われると、その人は「父を葬ることを許してください。」と言います。すると「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」と言われます。これは、葬式をしなくてよい、ということではなく、優先順位のことを言っているのでしょう。イエス・キリストを信じて従う者は、うしろを振り返るべきではありません。この道をまっすぐ進んでいくのです。真理は永遠に変わることがありません。変わらない真理の道にふさわしく、一心に変わることなく、イエス様を信じ続けてまいりましょう。

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