●5月8日礼拝メッセージ(ルカ11:1~13)

  「祈りを教えてください」という題で、ポイントを三つあげて学びましょう。
 ①主の祈り…弟子の一人がキリストに「祈りを教えてください。」と願うとキリストは、今日、「主の祈り」として祈られているマタイ6:9~13からの祈り方とほぼ同じ内容「御名が崇められますように。御国が来ますように。日ごとの糧を毎日お与えください。私たちの罪をお赦しください。私たちも人の罪を赦します。試みに会わせないでください。」と教えられました。とかく、私たち人間は、自己中心に陥りやすいものです。私たちの行なったことの結果が、主の御名が崇められるようであるなら、それ以上の幸いはないでしょう。また、この地上に天の御国のような平和と祝福があるならば、それ以上のことはありません。そして、毎日の生活のための必要も求めます。次に、罪の赦しを求めるときには自分自身も誰かの罪を赦すことが大前提です。人を憎んでいたら、自分も赦されることはありません。最後は、試みに会わないよう祈る。第一歴代誌4:10で、ヤベツという人は、自分の祝福と災いが及ばないように求めると、神はその願いをきかれました。私たちは、この祈り方、あるいは主の祈りを自分のものとして、おおいに祈り求めましょう。
 ②求め続ける…祈りの要素の中に不可欠なことは、あきらめないで祈り求め続けることです。当つばめさわ教会会堂は満5年で完成に至りました。私自身、振り返ってみますと、あきらめたことはありませんでした。当会堂には立派な長椅子と素敵なステンドグラスも入っています。私はそれらのものにそれほど関心はありませんでした。しかし、ある方は、熱心にそれらの必要を訴えておられました。その熱意があってこそ、長椅子もステンドグラス備えられました。今では、私自身もそれを喜んでいます。求め続け、探し続け、たたき続けることです。
 ③良いものをくださる…創世記に、イサクの子であるエサウとヤコブの兄弟が出てきます。エサウは肉的な人で世のものを求める人でした。ヤコブは霊的なものを求める人でした。結果的にヤコブがイサクからの長子の権利を得、大いなる祝福を受け継ぎました。日常生活の中で、争わずに何かを人に譲ることは素晴らしいことですが、永遠の霊的祝福は、むしろ貪欲に求めるべきです。旧約聖書に出てくるヒゼキヤ王は、アッシリヤの大軍が攻めてきたとき、必死に祈り求め、その結果、主の使いによって18万5千人のアッシリヤ軍が倒れました。その後、ヒゼキヤは病気になり、預言者イザヤを通して「あなたは死ぬ。直らない。」と言われた時も、泣きながら祈り求め、その結果、15年生き長らえました。その後、後の時代になってから、ユダの国がバビロン捕囚となる日が来ることを知らされたとき、ヒゼキヤは「主のことばはありがたい。」と言って、それ以上求めることはしませんでした。天の神様は、私たちに良いものを下さる方です。私たちは、何もはばかることなく、主に良いものを求めましょう。最も良いものは聖霊様です。全知全能の主が共にいる、それに勝ることはありません。

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