●9月11日礼拝メッセージ要旨(ルカ16:14~32)

   「ラザロと金持ち」という題で、ポイントを三つあげて学びましょう。
   ①律法の成就…前章の最後の箇所で、神に仕えるか、金に仕えるか、そういう話を聞いていたパリサイ人たちはキリストをあざ笑いました。そこで、キリストは、律法を重んじて生活しているように見せかけて、その実態は本来の聖書の教えから離れているパリサイ人たちに向けてメッセージを語ります。まず、キリストは、「律法の一画が落ちるよりも、天地の滅びるほうがやさしい(17節)」と言われました。マタイ5:17では「わたしは来たのは律法や預言者を廃棄するためではなく、成就するために来たのです。」と言われます。それは、キリストの十字架による救いによって成し遂げられ、福音(良い知らせ)と言われています。ちょうど、走り高跳びの世界記録が2.45mですが、そんな記録でも飛行機に乗れば幼児でも1万メートルも飛べますから、福音とはそういうものです。キリストの十字架によって義と認められ、律法の要求が全うされるという素晴らしい道が開かれているのです。
   ②死後の世界…ラザロも金持ちも死にました。非常に貧しい生活をしていたラザロはアブラハムのふところに、金持ちはハデス(地獄)に入れられました。金持ちが苦しみの中で上を見上げると、はるかかなたにラザロがアブラハムと共にいました。アブラハムと金持ちの間には行き来できない淵(境界)がありました。一旦ハデスに入ると、そこから抜け出ることはできません。また、聖書は、ハデスである地獄の存在を明確にしています(マタ25:46、マルコ9:43~48、第二テサロニケ1:8~9など)。この永遠の滅びの刑罰であるハデスへ入ることのないように、神のひとり子イエス・キリストが十字架で身代わりの刑罰を受けてくださったのです。ですから、わたしたちは、決してハデスなどには入ることがないように、イエス・キリストの救いをしっかりと自分のものとしましょう。このキリスト以外に救いはありません。(使徒4:12)
   ③聖書の教えに耳を傾ける…死人が生き返ったりする奇跡を見れば、だれでも聖書のことばを信じるかと言うと、そうでもありません。モーセに率いられ、エジプトから脱出したイスラエル人は、紅海を渡るという奇跡、苦い水が甘くなり、天からパン(マナ)が降るという数々の奇跡を見ました。しかし、そんな大きな奇跡を見ながら、彼らの多くは不信仰で、約束の地に入ることはできませんでした。結局、一人一人が、神のことばである聖書のメッセージを受け入れるかどうかにかかっているのです。すでに、聖書のみことばを信じている人は、続けて聖書をよく読んで、キリストに従ってまいりましょう。

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