●11月6日礼拝メッセージ要旨(ルカ19:11~27)  

 「ミナのたとえ」という題で学びましょう。
  ①ミナのたとえ…ある身分の高い人が遠い国に行き、そこで王位を受けて帰ってくることになりました。その留守の間、しもべたち10人に1ミナづつ預け、それで商売するようにと言いつけました。このとき、その国の国民たちは彼が王になることを望みませんでした。さて、いよいよ、その人が王位を受けて帰ってくると、しもべたちを呼んで、どんな商売をしたか知ろうとしました。最初の者は、10ミナ儲けたので、主人は彼を褒め、10の町を支配する者になりなさいと言いました。次の者は5ミナ儲けたので5つの町を治めなさいと言いました。もう一人は、1ミナをふろしきに包んでしまっておき、主人のことを恐ろしい方で預けなかったものを取り立てる方だと言うと、主人は、彼に対し、悪いしもべだ。だったらなぜ銀行に預けなかったのか。そう言ってから、彼の1ミナを取り上げて10ミナ持っている人に与えました。そして、自分が王になることを望まなかった敵どもを殺してしまえと言いました。このたとえ、王位を受けた主人というのはイエス・キリストです。しもべとはキリストを信じた人々、他の国民とはキリストを受け入れない人々です。
  ②タラントのたとえとの比較…マタイ25章にタラントのたとえがありますが、ミナのたとえとよく似ています。タラントのたとえでは、主人がそれぞれのしもべに異なったタラントを与えています。つまり、与えられた賜物や能力に応じて主に仕えよということでしょう。一方、ミナのたとえでは、1ミナづつ同じものを預けています。人から見ると、異なった能力、賜物も、神の目から見たら同じであり、要は、与えられた賜物をどれだけ神の栄光の為に生かし、用いているかどうかということです。
  ③神の国の法則…この世の法則は、例えば、10のうち5を出せば5が残ります。しかし、神の国の栄光を求めて、10のうち5を出すとき、一時的に残るのは5ですが、やがて何倍にもなって返ってくるのです。第一コリント3:10~15には、イエス・キリストを土台として建てる霊的な建物について記されています。真価が試される時が来て、霊的に立派な建物は残り、そうでない建物は灰になってしまう、としても、その人自身は火の中をくぐるようにして助かります。つまり、キリストを信じ受け入れる者は何があっても救われることに違いはありません。ただ、日々、どのように歩むかという事において、その報いは異なるのです。聖書をよく読んで祈り、その中で示されたことを行ないましょう。神の国の商売をして、より多くの霊的な利益を上げようではありませんか。

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