●11月27日礼拝メッセージ要旨(ルカ20:27~47)

 「生きている者の神」という題でポイントを3つあげて学びましょう。
 ①生きている者の神…復活を信じないサドカイ派のある者たちが、キリストに、この世の結婚関係と復活の際に生じると思われる矛盾点を問いただすのですが、キリストは、「復活の子はめとることもとつぐこともない。神は、死んだ者の神ではなく生きている者の神です。」と言われます。「復活」、それは永遠のいのちのことであり、天国のことです。聖書には、黙示録21~22章に天国の様子が記されていますが、それだけで天国が充分理解できるということはないでしょう。もし、それ以上詳しく説明していても、理解できないかと思います。なぜなら、天国は、今、私たちが想像できる能力の範囲をはるかに超えたものであるからです。今、必要なことは、天国の様子を知ることよりも、そこに入る道を知ることです。アブラハム、イサク、ヤコブは復活を信じ、永遠のいのち、天国の希望を持つ人たちでした。旧約聖書では、他にモーセ、ヨシュア、サムエル、ダビデ、新約聖書では、ペテロ、ヨハネ、パウロ、そのほかにも多くの人々は、永遠の神のいのちの中に入れられ、聖なる神の前に生きている者とされた人々でした。神のひとり子イエス様はヨハネ10:9で「わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」と言われました。イエス様は、聖なる神への入り口です。イエス様の十字架による門を通って神を信じ、神の前に生きている者とされましょう。
 ②ダビデの子キリストはダビデの主…キリストは、詩篇110:1を引用して、「ダビデがキリストを主と呼んでいるのに、どうしてキリストがダビデの子でしょう。」と問われます。ダビデはキリストがこの世に来られる千年ほど前の人です。自分の子孫として現われるキリストが、自分の主となることを聖霊によって知らされていたのでしょう。聖書が語る神は、唯一であるけれども三位一体(さんみいったい)です。唯一の神が、なぜ、三つの位格を持たれたのでしょう。それは、人を罪から救い、助けるためです。今日、私たちはイエス・キリストの名を呼び求めることによって、天の父なる神に祈りが届き、そこから聖霊による助けがある(ヨハネ14:26)のです。
 ③律法学者たちに気を付けなさい…当時の律法学者たちは、長い衣をまとったり、人から挨拶されたり、宴会の上座が大好きで、見栄を飾ることばかりに心を向けていました。今日、キリストにある者は、この世で快適な生活をするために救われたのではありません。キリストに似た者となるためです。キリストに似るためには、聖書を読むこと、祈ることです。そして、今、自分に置かれた状況もキリストに似るための道具として神が特別に用意されたものとして理解しましょう。キリスト者の最終目標は復活(永遠のいのち)に与(あずか)ることですが、その途上であるこの地上での目標はイエス・キリストに似た者となって神の栄光を現わすことです。

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