●1月22日礼拝メッセージ要旨(ルカ23:1~25)

  「ピラト、ヘロデ、バラバ」という題で、ポイントを3つあげて学びましょう
  ①キリストとピラト…使徒信条では「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ~」とありますように、ピラトはローマ総督として、イエス・キリストに対して十字架の刑執行者です。しかし、実際はピラトの強い意志に基づいたものではなく、彼は、回りの空気に流されて、そうせざるを得なかったのです。ピラト自身は、キリストの罪を認めることはできませんでした。16節で「だから私は、懲らしめた上で釈放します。」と言っています。罪を認めることができなければ、懲らしめる理由もないのですが、キリストをどこまでも訴える祭司長たちのご機嫌をとったのでしょう。ピラトは、当時の世界で威信を誇ったローマ帝国のユダヤ総督ですから、それ相当の権威を持っていたはずなのに、結局、自分の意志と異なる裁定を下す羽目になりました。目に見える世界の背後には、目には見えないけれども、「たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方(マタイ11:28)」がおられるのです。この世にあって私たちは、為政者やその他全ての人々のために祈り、とりなしつつも、この天地万物を創造し、それを総べ治め、たましいを滅ぼすことのできる最高権威者であるイエス・キリストの父なる神こそ王の王、主の主であることを覚え、この方を恐れてまいりましょう。
  ②キリストとヘロデ…ピラトは、責任を逃れようと、ガリラヤ出身のキリストをガリラヤ国主のヘロデ(そのときエルサレムにいた)のもとに送りました。ヘロデは、キリストを見ると非常に喜んだのですが、それは、神を真摯に求める心ではなく、うわべの興味本位だけで、何かの奇跡を見てみたいとする浅はかな思いしかありませんでした。ですから、ここで、キリストはヘロデの質問に一言も答えていません。それは、箴言26:4~5にある通り、ヘロデの愚かさに従ってそのように応じたのです。今日、私たちは、誰に対しても寛容で愛想良くあるべきでしょうが、全ての人が善意を持っているとは限りません。蛇のようにさとく、鳩のように素直で(マタイ10:16)あるべきです。
  ③キリストとバラバ…当時、名の知れた囚人のバラバか、それともキリストか、どちらか一人を過ぎ越しの祭の際の恩赦として釈放しようと、ピラトが群集に尋ねたところ、ピラトの思惑とは違い、群集は「バラバだ」と答え、キリストを「十字架につけろ」と叫びました。伝説によると、バラバはこの後、回心してキリスト者となって最期は殉教したとのことです。もし、それが事実なら、バラバはキリストのために残りの生涯をささげたということです。バラバが恩赦を受けたように、今日、私たちは、キリストの十字架による罪の赦し(永遠の無罪放免)が与えられているのです。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です