●3月12日礼拝メッセージ要約(ヨハネ1:19~34)

   ヨハネ1:19~34から、「ヨハネの証言」という題で、ポイントを3つあげて学びましょう。
   ①主の道をまっすぐにせよ…バプテスマのヨハネは、祭司ザカリヤの子として誕生するときから、様々な不思議が伴い、人々の間で注目されていました。いよいよ成人して、荒野で叫び始めると、人々は彼がメシヤではないかと思いました。そこで、ヨハネは、自分はイザヤ40:3で預言されている「『主の道をまっすぐにせよ』と荒野で叫んでいる者の声です。」と答え、自分のあとから来られるイエス・キリストに目を向けさせようとします。ヨハネの役割は大きく2つあったと言えます。一つは、キリストに対する証言者としての正統性、もう一つは、人々の心を主に向けさせる実効性です。今日、クリスチャンは、ちょうどこのバプテスマのヨハネのように、人々の心を、救い主イエス・キリストに向けさせるという役目を担っているのではないでしょうか。そのためにも、この世と調子を合わせず(第一ペテロ4:3~4参照)、神の側に立つ者とされ、その上で、キリストの証し人となりましょう。
   ②世の罪を取り除く神の小羊…31節でヨハネは「この方を知りませんでした」と言っていますが、それはたぶん、メシヤとしては知らなかったという意味なのでしょう。さて、このメシヤとしてイエス様は「世の罪を取り除く」ということを成し遂げられました。旧約聖書の出エジプト記には、エジプトで奴隷となっていたイスラエル人が解放される記事が記されています。パロ王の前に、モーセが九つのしるしと不思議を行ないます。ナイル川の水が血となる。かえる。ぶよ。あぶ。疫病。腫物。ひょう。いなご。真っ暗な闇。これらが起こるとパロ王は一時的にひるんでも再び心をかたくなにしてイスラエル人を解放しませんでした。しかし、最後に神の怒りがエジプト全土を襲い、家々の初子が死にました。このとき、イスラエル人の家々の門には、一才の傷の無い雄羊の血が塗ってあったので神の怒りが過ぎ越したのです。この事は、今日も同じです。神の御子イエス・キリストの十字架の救いを信じる者はいのちを持ち、信じない者は神の怒りがその上にとどまる(ヨハネ3:36)のです。
   ③御霊が鳩のように…ゼカリヤ9:9には「~この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。」とあります。キリストは、正に、鳩のような柔和な霊に満たされて、その働きを全うされました。今日、クリスチャンも、そのキリストが歩んだように、柔和と謙遜をもって歩みましょう。「義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。(ヤコブ3:18)」

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