●4月16日礼拝メッセージ要旨(第一コリント15:50~58)

イースター礼拝に因んで、第一コリント15:50~58から「不死を着なければならない」という題で、ポイントを3つ上げて学びましょう。
①血肉のからだは神の国を相続できない…熊本地震からちょうど一年が経過しました。昨年の4月14日と4月16日の二回にわたって大きな震度、そして大きな被害が出ました。また、最近では朝鮮半島が緊張状態にあります。地震や戦争など、この世は安泰の場所ではないということを改めて覚えさせられます。ですから、私たちは、この世の地上での生活は、あくまでも一時的な仮の住まいであると考えて、永遠の神の国、永遠のいのちに入る備えをしなければなりません。しかし、このとき、はっきりと認識しなければならないことは、生まれつきのままの血肉のからだは神の国を相続できないということです。
②不死を着なければならない…最近発表された日本の人口は、昨年の10月1日時点において、126,933,000人なのだそうです。2011年をピークにして、減少傾向にあるようです。創世記6:3で、主が人の齢を120年にしようと言われたとおり、超高齢者でもそのあたりが限界のようです。また、たとい、もっと生き続けたとしても、世の終わりのラッパが鳴るときが必ずきます。そのとき、不死を着ている者は朽ちないものによみがえり、「死は勝利にのまれた」というみことばが実現します。不死を着るとは、イエス・キリストを信じること、すなわち、キリストを心に迎え入れることです。第一コリント15章のテーマは復活です。この15章の最初に、パウロが伝えた最も大切なこととは「キリストが私たちの罪のために死なれたこと、葬られたこと、三日目によみがえられたこと」であると言っています。私たちの人生、結局、勝つか負けるかです。聖書は、「世に勝つ者とはイエスを神の御子と信じる者(第一ヨハネ5:5)」であると言っています。不死を着る。すなわちイエス・キリストを信じて人生の勝利者とならせていただきましょう。
③主のわざに励む…58節に、「堅く立って動かされることなく」とありますが、私たち人間、強情だったり、うなじのこわい者であったり、また、人の忠言を受けつけなかったりというのは良くないけれども、イエス・キリストを信じる信仰に関しては、ぐらぐらしていてはなりません。主は、志の堅固な者を全き平安のうちに守られる(イザヤ26:3)のです。その上で、いつも主のわざに励んでまいりましょう。私たちの教会も、教会としての使命があります。また、一人一人、主から与えられた使命があります。その使命に立って、堅く動かされることなく、神のわざを進めてまいりましょう。あるとき、人々がキリストに「私たちは神のわざを行なうために何をすべきでしょう。」と質問するとキリストは「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。(ヨハネ6:29)」と言われました。結局、私たちはイエス・キリストを信じ、みことばと祈りに励み、そこから、主のみこころを教えられて、自分が果たすべきことを行なうということです。

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