●6月25日礼拝メッセージ要旨(ヨハネ5:1~18)  

 ヨハネ5:1~18から、「ベテスダの池で」という題でポイントを3つあげて学びましょう。
  ①起きて床を取り上げて歩きなさい…38年もの間病気の人がベテスダの池で臥せっていました。そこにキリストが現われ、彼に「よくなりたいか。」と聞くと、「私には、池の中に私を入れてくれる人がいません。」と答えました。するとキリストは「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」と言うと、その人は直って、床を取り上げて歩き出しました。イエス・キリストは、昨日も今日も変わることなく、救い主であり、癒し主でもあります。さて、ここで、私たちは何を学ぶべきでしょうか。古い固定観念に縛られないで、キリストにある新しいいのちの中に生きる、ということではないでしょうか。38年間病気だった人は、キリストの「良くなりたいか。」と質問に対して、つぶやくことしか出来ませんでした。ピリピ2:13~14には「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。」とあります。
  ②安息日を破る?…病気が直った人に対して、ユダヤ人たちは「安息日に床を取り上げてはいけない。」と言いました。それは、聖書以外のユダヤ教の教えを根拠にそういうことを言っているのです。言うまでもなく、キリストが安息日に病人に癒しの手を差し伸べることは、安息日を破ることとは全く筋違いの話です。しかし、そうかと言って、安息日をないがしろにすべきではありません。かつてイスラエル人はエジプトで奴隷でした。奴隷に安息日はありません。奴隷から解放されて、ようやく安息日が保てるのです。今日、キリスト者はこの世の霊から解放され、キリストを主として歩み始めました。週に一度、安息日を覚えてこれを聖とする、それを徹底することによって、与えられた自由を失うことがないようにするためです。「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。(ガラテヤ5:1)」
  ③天の父は今に至るまで働いておられる…創世記2:3を見ますと「神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。」とありますように、確かに主は、七日目に創造のわざを休まれましたが、この世界と宇宙を総べ治められ、そのわざを片時も休んではおられません。私たちは色々なことを心配するものです。しかし、創造主である主は、イエス・キリストを信じて従う者に対して、昔も今もこれからも見守り、最善を成して下さるのです。「見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。(詩篇121:4)」

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