●7月30日礼拝メッセージ要旨(ヨハネ6:22~40)

   ヨハネ6:22~40から「いのちパン」という題で、ポイントを3つあげて学んでまいりましょう。
   ①永遠のいのちに至る食物…たった5つのパンで5000人の人々を満腹させるという奇跡を見た人々は、キリストを追って来ました。彼らはイエス・キリストが真の神のひとり子であり、自分の人生の主として従おうとする意志は無く、ただパンを求めてキリストのもとに来たのです。キリストは、そんな彼らに対して「無くなる食物ではなく、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。」と言いました。このヨハネの福音書の記者であるヨハネは、他に、ヨハネの手紙、そして黙示録の記者でもあります。特にヨハネは、それらの書の中で「永遠のいのち」について強調しているようです。例えばヨハネ3章16節、ヨハネ5章39節、ヨハネ12章50節、第一ヨハネ5章13節などです。また、黙示録21章3~4節では、永遠のいのち、すなわち天国の光景が表現されています。永遠のいのちに入るか否かでは、あまりに大きな違いがあります。ですから、その「永遠のいのち」ということのためには大きな犠牲も厭わない十分な価値があると言えます。ある方は、このヨハネ6章27節の「永遠のいのちに至る食物のために働きなさい」というみことばで献身に導かれました。
   ②神が遣わした者を信じること、それが神のわざです…キリストを追ってきた人々は「私たちは、神のわざを行なうために何をすべきでしょうか。」と聞き返しました。するとキリストは「神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」と言われました。新島襄は、侍の子として生まれましたが、聖書に出会い、「自分は創造者である神によって創られた。そうであるならば、この神に対して正直でなくてはならない。」として、当時は禁制だった海外渡航を断行し、アメリカに行きました。学びを終え、やがて日本に帰り、同志社を設立しました。すべては、キリストを信じるところから神のわざは始まるのです。
   ③わたしがいのちのパンです。…7月のキッズクラブでは、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる(マタイ4:4)」から、お話ししました。そのとき、写真で、パンとご飯とラーメンを見せ、子供たちにどれが一番好きか質問すると、全員が「ラーメン」でした。たぶん、ラーメンの写真が美味しそうだったからなのでしょう。私たちは美味しいものを食べて、元気に暮らしたいものですが、キリストによって与えられた永遠のいのちを力強く保つためには、いのちのパンである聖書のことばが必要です。〃フーポン信者〃にならないように気を付けましょう。一週間聖書を家に置きっぱなしにして、日曜日に教会に持ってくるときに、溜まった埃をフーフーポンポンするのではなく、聖書を毎日毎日熱心に読み、みことばをしっかり心に蓄える人になりましょう。

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