●9月10日礼拝メッセージ要旨(ヨハネ8:1~20)

   ヨハネ8:21~42から「真理は自由にする」という題で、ポイントを3つあげて学びましょう。
   ①自分の罪の中で死ぬ…イエス・キリストは、天から来られ、また天に帰られます。しかし、私たち人間は、この世の者であり、罪人であるがゆえに、やがて自分の罪の中で死んでゆきます。ところが、自分が罪人であるということを認識し、イエス・キリストの十字架の救いを信じ受け入れるならば、罪赦され、神の子とされ、永遠のいのちが与えられるという驚くべき特権を受けるのです。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)
   ②真理はあなたがたを自由にする…一般的な理解として、私たちは「真理を知ってからキリストを信じるようになる」と考えるのですが、実は、正確には、キリストを信じてから、その後に真理を知るようになるのです。第一テモテ2:4に「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」と、言っているとおりです。また、主を恐れることは知識の初めです(箴言1:7)。真の神を恐れるという土台の上に、多くの高等知識がより有益なものとなるでしょう。さて、「自由」ということに焦点を当てましょう。マルチン・ルターは、1520年、「キリスト者の自由」を著し、その中で、「キリスト者は、あらゆるもの、最も自由な主であって、何ものにも隷属しない。キリスト者は、あらゆるもの、最も義務を負うている僕であって、すべてのものに隷属している。」と言っています。この言葉は、パウロが第一コリント9:19で「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。」と言っていることと一致しています。まとめますと、私たちは、まずイエス様を信じ、聖書のことばを読み、真理を知り、霊的自由になり、さらに、神の僕となって全ての人に仕えるのです。
   ③アブラハムの子ども…キリストがユダヤ人たちに「罪を行なっている者は罪の奴隷です。あなたがたは父から示されたことを行なうのです。」と言われると、彼らは「私たちの父はアブラハムです。」と言います。するとキリストは「アブラハムの子どもなら、アブラハムのわざを行ないなさい。」と言われました。今日、アブラハムは「信仰の父」と言われています。まだ一人も子がないとき、神に、空の星を数えるように言われました。そして「あなたの子孫はこのようになる」と言われて、彼は素直に信じたのです。今日、私たちは、神のことばを聞いたとき、アブラハムのように素直に信じる者でありたいと思います。また、信じるの「信」は人+言です。つまり、信仰の告白が大事なのです。常に、信仰的な告白、前向き肯定的な言葉を告白することにより、その通りに実現していくものなのです。

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