●7月1日礼拝メッセージ要旨(ヨハネ20:19~31)

ヨハネ20章19~31節から「私の主。私の神。」という題で、ポイントを4つ上げます。
①週の初めの日…キリストは金曜日に十字架につけられ、葬られたのち、週の初めの日、今日の日曜日に復活しました。そして、その日の早朝にマグダラのマリヤに現われ、夕方、弟子たちのいるところにお姿を現わされました。そして、その八日後、再び、同じ場所に現われました。その後、地上にしばらく留まった後に、天に昇られ、復活後の50日目に弟子たち120名が祈っているところに聖霊によって臨まれました。いずれの日も、週の初めの日であり、日曜日でした。使徒20:7と第一コリント16:2のみことばによりますと、初代教会では日曜日に聖餐式と献金をしていた、つまり、今日のキリスト教会が行なっている礼拝の原型を見ることができます。AD313年、ローマ皇帝コンスタンティヌスがミラノ勅令を発布すると、それまで続いていたキリスト教迫害は止み、また、日曜日が公の安息と礼拝の日となりました。このことは、ローマ皇帝が当時のキリスト教会の習慣を受け入れたということでしょう。ですから、今日私たちは、キリスト復活の日曜日を礼拝と安息の特別な日として尊び(イザヤ58:13~14参照)、祝福の道を進みましょう。
②聖霊を受けなさい…キリストは弟子たちに「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします」と、彼らに息を吹きかけ「聖霊を受けなさい」と言われます。つまり、神の権威を受けて神の働きをせよ、ということです。ある教会では、教会に来ると「ただいま」と言い、教会から家に帰るとき、「行ってきます」と言うそうです。私たちも、聖霊を受けて神の権威を帯び、教会からそれぞれの場所に遣わされて行くという意識を持つべきでしょう。
③見ずに信じる者は幸いです…トマスは復活のキリストを目の前にして「私の主。私の神。」と告白しましたが、聖書の中には、神の奇跡を幾度も見ながら信じない人も多くいました。トマスは見て、ようやく信じましたが、それよりも見ずに信じる信仰の人になりましょう。マタイ8:5~に登場する百人隊長は、中風で病むしもべの回復を願ってキリストに「ただおことばをください」と言い、その信仰姿勢をキリストに褒められました。④この書の目的…ヨハネは何のためにこの書を書いたのかということを言っています。それは、その書を読んだ人が、イエス様が神の子キリストであることを信じ、イエスの名によって永遠のいのちを得るためです。この働きによってヨハネが何かいくらかの収益を得たということは無かったでしょう。しかし、彼の仕事は、この世の莫大な富や高い地位や名誉よりもはるかに価値ある尊いことであったことは疑いようがありません。

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