●11月11日コンサート特別礼拝メッセージより(第2コリント4:16)  

   「幻想から現実へ」という題でお話しします。私たち人間は、思い違いをしていることが多いと思います。ウソを本当と思い、本当をウソと思ってしまったり、恐れなくてよいものを恐れたり、本当に恐れなくてはならないのに無視したりということがあるのではないでしょうか。日本の多くの人々が持っている神概念は、聖書に記されている創造主である真の神とは全く異なるものです。日本の神々、つまり御神体としてまつられているのは、昔の大名だったり、有名な人物だったり、野球選手でも大活躍すると御神体となることがあるようです。石で造られた神、木で作られた神、紙で作られて車やカバンなどにぶら下がっている神もあります。しかし、聖書が語る本当の神様は、この世界を創造した方、私たち人間を形づくり、命の息を吹き込んで、今、私たちを生かしておられる方です。本来、私たちはこの方を恐れなければならないのです。
   さて、この真の神様が願っておられること、それは、私たち人間が幸いな人生を歩み、その使命を終えたあと、永遠の祝福に入ることです。どんなに健康で長生きしても、死という現実を逃れることはできません。しかし、聖書は永遠の天の御国があることを示しています。ゲストシンガー・みぎわさんの名は黙示録22:1に記されている「天の水晶のように光るいのちの水の川の側」という意味でつけられたお名前だと思います。聖書が示している天国は非常に美しく、聖なる場所でもあります。それは聖なる聖なる聖なる神がそこにいらっしゃるからです。その美しく聖なる場所に入る資格のある人は、一点の罪も汚れも無い人でなければなりません。しかし、すべての人は罪を犯し、そこに入ることはできません。
   真の神は愛なる方です。そのひとり子イエス・キリストをこの世に遣わしました。キリストはエルサレムのゴルゴダの丘で十字架にかけられて殺されてしまいます。このキリストの十字架の死は、信じる者の罪を赦しきよめてくださる真の神の愛のしるしなのです。イエス・キリストを信じる信仰によって、罪も汚れもない全くきよい者とされ、聖なる永遠の天の御国に入ることができるのです。
   福岡ハーベストチャーチのメンバーで医師である一人の青年は熱心に家族などにキリストを証ししていました。そんなとき祖母が自分の勤める病院に入院し、こん睡状態で話もできない状態になりました。医師として、多くの死に行く患者さんを見ていて、なんとか祖母もイエス様を信じて欲しいと願い声掛けをしていました。あるとき伝道師と一緒に祖母の枕元で讃美歌を歌っていますと、話せないはずの祖母が突然、手を上げながら「ハレルヤ!ハレルヤ!アーメンになりました。」と言いました。つまり、自分はイエス様を信じたということです。その十日後召天しましたが、素晴らしい奇跡が起こったのです。
   第2コリント4:16には「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」とあります。聖書の別訳では「勇気を失いません」が「落胆しません」となっていて、こちらのほうが、聖書の原語に近いかと思います。キリストのうちにあるなら、外側の体は弱くなっても、内側の霊魂は新たに、つまり若返っていき、最後は永遠の聖なる美しい永遠の天の御国に入れていただけるのですから、確かに落胆することも失望することもありません。幻想の世界に埋没して落胆に終わる人生ではなく、イエス・キリストにある希望に満ちた現実の世界の中で元気に過ごさせていただこうではありませんか。

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