●12月9日(日)礼拝メッセージ要旨(使徒の働き8:1~25)

   「サマリヤ宣教」という題でポイントを3つあげて学びましょう。
   ①サウロと迫害…サウロ、後のパウロは第一テモテ1章で「自分は迫害する者、暴力をふるう者でした。私は罪人のかしらです。」と言っています。多少の謙遜でパウロがそう言ったということもあるでしょうが、実に、パウロはステパノ殺害に賛成し、教会を荒らし、キリスト者を捕まえて牢に入れていたのです。彼は使徒9章で、エルサレムからダマスコ途上、キリスト(聖霊なる)に出会って回心し、自らがキリスト者となります。迫害の先頭に立っていたようなパウロがなぜ救われたのか。それは、ステパノの殉教が影響しているのではないでしょうか。パウロはステパノに石を投げつけている人たちの着物の番をしていて、死の直前に大声で「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」と叫んだステパノの祈りを聞いているはずです。つまり、キリスト者の殉教、あるいは殉教的精神、その他、キリストの香りを放つ行動は、後になって大きな実を結ぶのです。
   ②ピリポの宣教…ステパノの殉教によって迫害がさらに強まっていったのですが、それによって、使徒たち以外の者たちは諸地方に散らされて、却って福音宣教が拡大されていったのでした。あの七人の執事の一人ピリポはサマリヤに下って行って福音を宣べ伝えました。サマリヤは、かつて、イスラエルの国が南北二つに分割していたときに、北イスラエルの首都でした。BC721年にアッシリヤによって滅ぼされたあとは北イスラエルの名が消え、ローマ時代はユダヤと並びサマリヤと呼ばれていました。キリスト者たちは、使徒1:8でイエス様が言われた通り、福音がエルサレムから始まり、地元のユダヤ、そして次に、元はと言えば、同じイスラエル民族であったサマリヤに伝えて行ったのです。教会の宣教も近くから徐々に遠くへ、個人の証しも身近なところから徐々に回りに広がって行くのが理想です。
   ③魔術師シモン…魔術師シモンは魔術を使って人々を驚かせ「自分は偉大な者だ」と言っていました。そこへ、ピリポがしるしと奇跡を伴いながら宣教に入ると、シモンも洗礼を受けました。そんなサマリヤの情報を受けて、エルサレム教会からペテロとヨハネが遣わされました。二人は人々が聖霊を受けるように祈ると彼らは聖霊を受けました。それを見たシモンは金を持ってきて、「私にもその権威をください」と言うと、ペテロは厳しくシモンを叱責しました。シモンは、その権威を受けてさらに自分の名を上げようと目論んでいたようです。福音宣教の目的は、自分の名を上げることではありません。一人でも滅びることを望まず、神の栄光が現われることです。第一コリント10:31です。「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」

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