●12月30日(日)礼拝メッセージ要旨(使徒の働き8:26~40)

「宦官のエチオピア人」という題でポイントを3つあげて学びましょう。
①宦官のエチオピア人…2007年のエチオピアの宗教人口調査によるとキリスト教62.8%、イスラム教33.9%、アニミズム2.6%となっています。カトリックが殆どのようですが、いずれにしても、これだけキリスト教人口が多数を占めているということは、ここで登場する宦官がピリポから洗礼を受け、その後、彼がエチオピアに帰って、福音を伝えたと考えられ、それが影響しているのかもしれません。もし、そうであるなら、強い求道心を持ったエチオピアの宦官に、ピリポが直々に遣わされたのも納得が行きます。マタイ7:7に「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」とあります。真理を捜し求めた宦官に主が応えて下さったのです。私たちも霊的なもの、主がくださる良いものを求め続けましょう。
②イザヤ書53章…馬車に乗ってイザヤ書を音読していた宦官のところにピリポが遣わされ、「あなたは読んでいることが分かりますか?」と言いますと、宦官は「導く人がなければどうして分かるでしょう。」と答えます。そしてピリポに馬車に乗って座るように頼み、イザヤ53章は誰について書いているのかを質問しますと、ピリポは、イエス様のことを彼に宣べ伝えたのです。ヨハネ5:39には「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」とあります。今日、私たちが聖書を読むとき、常にイエス・キリストに焦点を合わせるならば、外れるということはないし、より理解も深まることでしょう。
③バプテスマ…道を進んで行くと、宦官の方から「水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」と尋ねます。たぶん、ピリポは、バプテスマのことも話したのでしょう。バプテスマを受けるというのは、イエス・キリストの救いの理解とキリストに生涯従い続けるという決意の表明でもあります。マルコ16:16には「信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」とあります。洗礼を受ける機会が与えられている人は、受けるべきです。拒むことは、救いを拒むことになるでしょう。さて、ピリポは、そのあと、アゾト、カイザリヤへと、御霊に導かれて、地中海沿岸を北上します。宦官のところに遣わされたときもそうですが、ピリポは、主からの語りかけを直接受けています。それは、彼が聖霊に満たされていた証拠でもあります。今日、私たちもピリポと同じように主からの語りかけを受けて行動したいと思いますが、でも、基本的に、次の三つのことで主のみこころを知ることが出来るでしょう。(1)聖書のみことば、(2)環境、(3)平安、です。右か左か、その道を進むには、聖書のみことばと一致しているか。次に、そのための環境は整っているか。出来ない事を主は私たちにさせません。そして、平安はあるか、です。ピリピ2:13には「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」とあります。私たちは、みことばと祈りのうちに、心燃えるようなことを自分の使命として受けとめ、それぞれ、歩むべき道を進んで行きましょう。

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