●2月10日(日)礼拝メッセージ要旨(使徒の働き10:24~48)

「カイザリヤでの集会」という題で3つのポイントをあげていきます。
①神の前に出ております…コルネリオから遣わされた三人と共に、ペテロはヨッパの主にある兄弟たち数人を伴い、いよいよカイザリヤに行きます。カイザリヤに到着すると、コルネリオが出迎え、ペテロの足もとにひれ伏しますが、言うまでもなく、人間は決して礼拝の対象ではないのでペテロは止めさせます。それから、ペテロは、コルネリオが集めた親戚や知人たちの前に出て、「どうして私を招いたのですか。」と聞くと、コルネリオが「四日前、午後三時の祈りをしていますと、主の使いが現われ、『ヨッパにいるペテロを招きなさい』と言われ、今、私たちは、主があなたにお命じになった全てのことを伺おうと、御前にでております。」と言いました。神のことばを待ち望んで、今か今かと心渇き、求める、この姿勢、これこそ真の礼拝者の姿ではないでしょうか。詩篇42:1~2には「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。」とあります。私たちも、礼拝や祈祷会の始まる5分あるいは10分前には、静まって、主を待ち望む姿勢を持つべきでしょう。
②キリストはすべての人の主…ペテロは、いよいよ本題に入ります。「神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられます。神はイエス・キリストによって平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。」と言います。日本で言うなら、仏教の信者であれ、神道、新興宗教、無宗教、誰であれ、イエス様はすべての人の主です。しかも、主は十字架による救いを成し遂げられ、死後、復活し、生きている者と死んだ者とのさばき主として定められているのです。ですから、私たちは、心の王座をキリストに明け渡し、生活の関心事はキリストによって方向づけられ、神の計画と調和する人生へと導かれましょう。
③聖霊の賜物が注がれた…ペテロがなおもキリストについて話していると、みことばに耳を傾けていたすべての人に聖霊がくだりました。異邦人にも聖霊の賜物が注がれたことを見たユダヤ人キリスト者たちは驚きました。ヨハネ3:8には「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」とあり、聖霊は主権者であって、人間の側で聖霊の働きについての定義づけは困難です。ただ、聖書が何と言っているかを調べることはできます。今日、私たちがキリストのうちにあるなら、何らかの聖霊の賜物をいただいている筈です(エペソ4:7~8)。そして、そこのところで満足するのではなく、より優れた賜物を熱心に求め(第一コリント12:31)、与えられた賜物をもって主のお役に立ちたいと思います。

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