「異邦人の光」という題でポイントを4つあげます。
①いつまでも神の恵みに留まっているように…場所は小アジア、ピシデヤのアンテオケです。会堂管理者たちに促されてパウロがメッセージを語り終えると、聞いていた人々は「次の安息日でも話して下さい。」と頼みます。そして、会堂を出たパウロとバルナバについてきた人々もいました。それだけ、パウロのメッセージに感銘を受けたのでしょう。そこで二人は彼らに「いつまでも神の恵みに留まっているように。」と勧めました。その神の恵みに留まるにはどうしたらよいでしょうか。箴言16:20には「みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。」とあります。日々、毎日毎日、みことばと祈りによって主を慕い求めることです。
②異邦人の光…次の安息日には町中の殆どの人が集まってきました。すると、それを見て妬んだユダヤ人たちがパウロの話に反対して口汚くののしりました。そこで、パウロとバルナバは、「あなたがたは神のことばを拒んで自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者とした。これから私たちは異邦人の方へ向かいます。」と言い、「わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。(イザヤ書49:6)」を引用しました。天の神様のご計画は、まずユダヤ人に福音が伝えられ、そのあとで異邦人に福音が伝えられていくことでした。今年2019年、異邦人への宣教の時は続いています。当つばめさわ教会に集う私たちも異邦人の光です。イエス様とみことばが光です。私たちはイエス様を信じ、お祈りし、遣わされて福音を伝えていきましょう。
③永遠のいのちに定められた人々…全知全能の神は先のことをお見通しですから、誰が救われるか否かをご存知です。しかし、私たち人間には何も分かりません。また、誰が救われる人か、そうでない人かなどを知る必要はありません。「兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。」とあります。私たちは、目の前にあるすべきことを寛容な心を持って行なっていかねばなりません。
④喜びと聖霊に満たされる…ユダヤ人たちは町の有力者たちを扇動してパウロとバルナバを迫害してきたので、二人は足のちりを払い落としてイコニオムに行きました。足のちりを払い落とすとは責任は果たした、いわゆる「血の責任はない」ということです。52節には「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた」とあります。ここで「弟子」と言っています。イエス様の弟子です。弟子を迫害するとは、その師であり主であるイエス様を迫害することです。正しく裁かれるのはイエス様であり、自分たちの責任を果たしたあとは主に委ねればよいのですから、彼らは喜びと聖霊に満たされたのです。