●6月30日礼拝メッセージ要旨(使徒の働き17:15~34)

ベレヤに留まっていたシラスとテモテをアテネで待っていたパウロは、そこでも福音宣教に励みます。17:15~34から三つポイントをあげていきましょう。
①偶像と哲学(文明)…パウロはギリシャ文明の中心地アテネの町を散策したのでしょう。彼は、町に偶像がいっぱいあるのを見て、心に憤りを感じました。普通の人ですと、偶像も芸術作品と見て、畏敬の念さえ抱くことでしょう。しかし、伝道者パウロにそんな余地は微塵もありませんでした。今日、日本の国は、諸外国と比べて文明国と言ってよいでしょう。教育レベルも高いほうでしょう。しかし、高度な知性を持ちながら、なぜか偶像礼拝は廃れることはありません。多くの人々は、聖書が語る全知全能の創造主の存在を否定しながら、人の手によって製作された偶像には頭を下げるのです。ヤコブ1:20には「人の怒りは神の義を実現するものではありません。」とありますが、逆に、キリスト者でありながら、多くの偶像を見て、憤りを感じないようであっても問題です。イエス・キリストは、エルサレムの神殿で商売をしている人たちの台を倒し、叱責されました(ヨハネ2:13~16)。また、ラザロが死んだとき、その周りにいた人たちの不信仰のゆえに憤りを覚えられました(ヨハネ11:33、38)。
②天地万物の創造主…この当時、ソクラテスの流れを受け継ぐストア派と唯物主義的なエピクロス派が主流だったようです。パウロが彼らと論じると、彼らはパウロを見下すものの、アレオパゴスの議会に連れて行き、そこで話すようにうながしました。パウロは「知られない神に」という祭壇を見つけたことを糸口にして、創造主である真の神は、人の手による宮などにはお住みにならないということ、そして、神は全ての人に命と息と万物とをお与えになったことを語ります。私たち人間は、創造主である神の中に生き、動き、また存在しているのです(28節)。ですから、この方を恐れ、みこころを求めて生きることが最善の道です。
③世界をさばく日…パウロのメッセージは最後のあたりで、イエス・キリストによって世界のさばきがあり、その確証のために、キリストが死者の中から復活したと語ります。すると、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは「またいつか聞くことにしよう。」と言いましたが、アレオパゴスの裁判官デオヌシオとその他の人々は信仰に入りました。あざける人がいるから伝えないのではなく、そういう中でも信じる人もいるのですから、福音は伝えなくてはなりません。

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