「やがて来る審判」という題でポイントを3つあげます。
①ペストのような存在…エルサレムからカイザリヤにパウロが護送された五日後、祭司長たちは弁護士を連れて来て、総督ペリクスにパウロを訴えます。弁護士のテルトロがパウロについて「この男はペストのような存在で世界中のユダヤ人たちに騒ぎを起こし、宮を汚している。」と言いました。もちろん、パウロは騒ぎを起こしてもいないし、宮を汚してもいません。ここで「ペスト」という言葉が使われています。原語も英語聖書も2017年訳も「疫病」ですが、ただ、ペストと言うとかつてヨーロッパを襲った伝染病でイメージが伝わりやすい表現とも言えます。パウロを訴える側にとっては、それだけ彼が厄介な人物だということでしょうが、逆に、キリスト者の側から見れば、それほどに、パウロによる福音宣教の影響力が強大だったということです。疫病によって感染するがごとくに、福音によって救われる人々が起こされていくということはキリスト者の理想的な姿なのです。
②義人も悪人も復活する…テルトロの訴えに対してパウロは、自分は、キリストを信じる信仰の道に従い、義人も悪人も復活するという望みを抱いている、と言っています。ルカ16:19~31にはラザロと金持ちの話が出ています。ラザロは死んでアブラハムの懐に、金持ちは死んでハデス(2017年訳では「よみ」)に行っています。つまり、ラザロは地上と天国、金持ちは地上と地獄のそれぞれの中間点のような場所に移されているようです(※このことは、あくまでも推測であって、聖書は天国と地上の中間点、また地獄と地上の中間点の存在を明確にしていません)。そののち、キリストの再臨があって、義人も悪人も復活し、そして、最終的な天国と地獄に分けられるのです。そういった途中経過のことを難しく推測する必要はありません。大事なことは、イエス様を信じて罪赦されて神の子とされ、永遠のいのちを受け取ることです。
③やがて来る審判…ペリクスは千人隊長ルシヤがいないことを理由に裁判を延期しました。そののち、彼はユダヤ人の妻ドルシラを伴いパウロを呼んで、キリスト・イエスを信じる信仰について聞いています。パウロが正義と節制とやがて来る審判を語ると、恐れてパウロを帰します。先日10月12~13日、台風19号が東日本を襲いました。80名以上の死者が出て、あちらこちらの河川が氾濫して多くの人が被災しました。筆者は、東日本大震災のあと、ある仮設住宅の集会室で一人の年配の男性から「神がいるならなぜこんな災害が起こるのか。」と質問され、その場では答えることはできませんでした。しかし、後に、その答えを頭の中で整理しました。確かに創造主である真の神様の許しがなければ災害は起こりません。ただ、その前に、私たちは、真の神から受けている恵みを感謝しているでしょうか。水も空気も程よい気温も、そして私たちに与えられている命、健康、食べ物、着物、あらゆるものは、その神様から受けているものではありませんか。もし、その真の神をないがしろにしているなら、最後の審判を免れることはできないでしょう。