●1月26日(日)礼拝メッセージ要旨( ローマ2:1~16)

 「神にえこひいきはない」という題でポイントを3つあげます。ユダヤ人は神の選民と言われています。また、今日のクリスチャンも神によって救いに選ばれた人々です。多くのユダヤ人は旧約聖書を、クリスチャンは旧約聖書と新約聖書を受け入れています。どちらも、律法を持っていることは共通しています。このローマ2章は、その律法を持つ人々が陥りやすい問題点を指摘しています。ポイントを3つ上げます。

   ①他人をさばく人々よ…振り返ってみますと、私たちは毎日毎日、他人をさばきながら生活しているのではないでしょうか。例えば、車の運転をしているとき、強引に割り込んでくる車があれば「あの運転の仕方はなんだ」とさばきますし、生活の中で接する人々の態度が気に入らないと「なんだあの人の態度は」などと、声には出さなくても心の中で四六時中、他人をさばいているとも言えます。そのくらいは問題ないのではと思いますが、1節では「すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。」と手厳しく、この基準から見ると、私たちは自分が正しい人とは言えなくなります。私たちは、神の前にさばかれることがないように、自分自身を冷静に見つめ、自分の間違いに気づいたら、すぐに悔い改める砕かれた心を持ちましょう。イザヤ57:15には「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」とあります。

   ②神にえこひいきはない…救い主イエス・キリストを信じるだけで神の子とされるという福音を私たちは信じています。そうは言っても、全く真理に従おうとせず、不義に従う者には神の怒りが下されます。7節に「忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものを求める者には永遠のいのちが与えられる」とあるように、福音を信じた者として、それぞれ自分の生き方に対して最善を尽くすべきで、その点において、神にえこひいきはないのです。

   ③律法を行なう者が正しいと認められる…ヤコブ書1:22には「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」とあります。一方で、ローマ人への手紙10:17には「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」とあります。イエス・キリストを信じる信仰は聞かなければ始まりません。まず、聞いて、信じて、そして、行ないにつながっていくのです。ルカ10章で、一人の律法の専門家がイエス様に、「何をしたら永遠のいのちを得られるか」という質問をしました。答えは、神を愛し、隣人を愛することです。とは言え、さて具体的に何をすべきかについては、私たちそれぞれ、その時その時、何が主のみこころか、それを主に求めつつ、日々励んでまいりましょう。

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