●2月16日(日)礼拝メッセージ要旨( ローマ3:19~31)

   「信仰の原理」という題でポイントを4つあげます。

   ①神の義が示された…先週は、神の律法の前に、義人と認められる人は誰一人いない、と言うことをお話ししました。それどころか、律法の前にはかえって罪の意識が生じるのです。しかし、21節の冒頭では「しかし、今は」とあります。英語では(But now)です。今、私たち、いいえ、全ての人の前に、イエス・キリストの十字架による神の義が公に示されているのです。

   ②価なしに義と認められる…アメージンググレース、「驚くばかりの」の作詞者であるジョン・ニュートンは、船員の父と熱心なクリスチャンである母との間に生まれました。6歳のときに母が亡くなり、その後、船乗りとなりました。22歳のとき、暴風のため船が難破しかかったとき、母の死後、初めてお祈りをしました。そのとき、奇跡的に船は遭難を免れて、ジョン・ニュートンは回心したのです。しばらくは船員を続けていましたが、38歳で牧師の道に進みました。そんな体験からアメージンググレースが生まれたのです。罪の赦し、永遠のいのち、神の子とされ、キリストとの共同相続人となることが、何の価も無しに得られるのです。正に、驚くばかりの恵み、たまげた恵みです。

   ③信仰の原理…27~30節では、律法と信仰が対比的に記されています。一般的に、右脳と左脳ということが言われています。広辞苑によると、右脳は空間的、音楽的認知を司るとのこと。左脳は言語的、分析的、逐次的情報処理を司るとのこと。どちらも大切で必要なものです。先日、お亡くなりになった元楽天監督の野村克也さんはID野球で知られ、正に左脳を使った野球と言えるでしょう。一方、野村さんと同世代でその対極にあるのは長嶋茂雄さんでしょう。長嶋さんは感覚を大事にする右脳中心の野球と言えます。ちょっと、無理があるかもしれませんが、律法が左脳と当てはめるなら、信仰は右脳でしょう。ルカ18:17には「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」とあります。右脳左脳はともかく、信仰の原理とは、子供のようにへりくだり、素直に単純にイエス様を信じることです。

 ④信仰は律法を確立する…「信仰、信仰と言うのなら、律法なんか無意味ではないか。」という声が聞こえてきそうですが、パウロは、信仰は律法を確立する、と言っています。イエス様が十字架で死なれたとき、多くの人は最悪なことが起こったと思ったことでしょう。しかし、それは、多くの人に救いをもたらす神の大きな恵みだったのです。マタイ5:17でキリストは「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」と言っておられます。そのイエス様を信じる信仰が律法の要求を全うさせるのです。

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