●3月29日(日)礼拝メッセージ要旨( ローマ7:1~12)

 「律法からの解放」という題で学びましょう。

 
 1~6節に何が書いてあるか、それをまとめますと、「律法に縛られて生きるのではなく、イエス様に目を向け、御霊に導かれて実を結びましょう。」ということでしょう。7~12節には、「律法によって罪を知り、罪は死に導くものであることを知ったけれども、律法は聖なるもので良いものである。」ということが記されています。
 
 確かに、例えば十戒の第二の戒めは「あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。(出エジプト20:4~5より)」とあります。多くの日本人の場合、この戒めを知らなければ、神社に参拝し、仏像に頭を下げることでしょう。しかし、偶像礼拝は、聖なる真の神の前では罪であり、その人に真の祝福をもたらすことはできません。
 
 新約聖書においては、この偶像礼拝についてもっと広い意味で捉えています。コロサイ3:5には「ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。」とあり、実際の偶像を拝まなくても、心の中での偶像礼拝もあるのです。そういう意味では、表向きの形の上での偶像礼拝をしない筈のキリスト者であっても、「むさぼり」という偶像礼拝との戦いがあります。
  
 そこで、その戦いに勝利する秘訣がコロサイ3:1にあります。そこには「こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。」とあります。つまり、「あれをやってはいけない。これもやってはいけない。」ということに縛られるのではなく、イエス様が喜ばれることに目を向けていくことです。「攻撃は最大の防御である」ということわざがあります。いつも、神のみこころは何か。何が良いことで、神に受け入れられことか(ローマ12:2参照)を求めましょう。
 
 昨今、世は新型コロナウィルスに悩まされております。教会も、まさか集まることに対して神経を使わなければならないとは思ってもいませんでした。エペソ6:11には「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。」とあります。世には無数の情報、中にはデマもあります。それらに対して、冷静に分析し、何をすべきか、または、すべきでないかを祈り求めてまいりましょう。神を愛する者にとっては全てのことが益となる(ローマ8:28参照)のですから、キリストを信じる信仰によってこの問題を受けとめてまいりましょう。

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