●6月14日(日)礼拝メッセージ要旨(ローマ10:14~21)

「選びによって残された者」という題でポイントを3つ上げます。
①エリヤに関する(聖書の)箇所…パウロは、11章の冒頭で「すると、神はご自分の民を退けてしまわれたのですか。」、「絶対にそんなことはありません。」と自問自答しています。そして、なぜならばパウロ自身がキリスト者であり、さらに、旧約聖書の列王記時代の預言者エリヤに関する記事を取り上げています。エリヤはカルメル山で偶像神バアルの預言者450人と、どちらが本当の神かを決する戦いをしました。450人が呼べども叫べどもバアルの神は答えません。しかし、エリヤが「アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。主よ。私に答えて下さい。」と祈ると主の火が降ってきて、いけにえと焚き木と石とチリと溝の水まで、なめ尽くしてしまい、大勝利をしたのです。その一連の出来事を見ていたアハブ王は、事の顛末を妻イゼベルに告げました。するとイゼベルは激怒し、エリヤの命を狙います。エリヤは恐れて、身を隠し、40日40夜、南下してホレブに着き、そこのほら穴に隠れているとき、主はエリヤに「わたしはイスラエルの中にバアルを拝まない七千人を残しておく。」と語られたのです。私たちの人生、色々なことがあります。しかし、雲の上に太陽がいつも輝いているように、晴れの日も雨の日も、主は変わらず私たちを見守っていてくださいます。ですから、心配無用、主は全てを最善にしてくださいます。
②今も、恵みの選びによって…T市のS教会で牧会伝道しておられるO牧師は、S市で車を走らせているとき、4節の「バアルにひざをかがめない七千人」というみことばを思い浮かべました。つまり、S市には有名なS神社があり、「この町に偶像礼拝しない七千人がいる」としてS教会の目標を七千人としたのです。まずは近隣の教会と協力して七千人の救いを目指し、行く行くは、S教会単独で七千人を目指すとのこと。さらに素晴らしいのは、その牧会哲学です。信者一人一人がキリストの弟子として、キリストに似た者になるということを目標にしています。このことは、全ての教会にも当てはまります。「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。(エペソ4:13)」
③かたくなな心…8節では「神は彼らに鈍い心と見えない目と聞こえない耳を与えられた。」とありますが、一方で、詩篇95:8には「あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」とあります。出エジプト後、荒野で主とモーセに逆らった民のようであってはならないのです。キリストは公生涯に入る前、悪魔の試みを受けられました。悪魔がキリストに世の栄華を見せ、「私を拝むなら、これを全部あげよう」と言いました。キリストは「引き下がれサタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」と言われました。悪魔に従うと、得するようなことがあっても、それは滅びの道です。私たちは、心砕かれ、主なる神に従順に従う道を選びましょう。「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。(イザヤ57:15)」

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