ローマ12章9~13節から「絶えず祈りに励みなさい」という題でポイントを3つ上げていきます。
①互いに愛し合いなさい…9節で「愛には偽りがあってはなりません」とありますが、ある参考書では「あなたがたの愛を真実なもの、実質のあるものにしなさい。」という意味のようです。キリストの一番弟子ペテロは、キリストに対し「あなたのためには命も捨てます」と言ったのですが、いざ、キリストが捕らえられ、大祭司の中庭では三度もキリストを知らないと言いました。後に、十字架の死後、復活したキリストがテベリヤ湖畔でペテロに対し「わたしを愛しますか」と質問すると、ペテロは「愛します」とは言わず、「あなたがご存じです」と言うに止まりました。最初のペテロよりも後のペテロの方が真実だったと言えます。10節には「尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい」とあります。私たちは、キリストが十字架で示されたような愛を実践することは不可能でしょうが、「尊敬をもって人を自分よりまさっていると思う」ことであるなら、実現可能とも言えるかと思います。
②霊に燃え、主に仕えよ…何らかの大きな目標を持っている人は心が燃えています。2020年オリンピックは延期となり、今年出場するはずだった選手たちのモチベーションの維持が難しいようです。しかも、来年開催できるかどうかも未知の状態なのですから。キリスト者にとっては、永遠の希望の目標があります。その望みを抱いて、喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みましょう。祈ることによって、霊に燃え、主に仕えてまいりましょう。
③旅人をもてなす…「愛の実践」ということです。私たちの教会は、3.11東日本大震災で、多くの方々から愛の支援を受けました。だからではありませんが、主にある他教会、他団体の入用に微力ながら協力したいものです。また、旅人をもてなすことも実行したいものです。キリスト時代の昔のユダヤでは、履物の関係で、外から来た旅人を家に迎え入れるとき、足を洗う習慣がありました。ヨハネ13章で、キリストがペテロの足を洗おうとしたとき、ペテロは恐縮して断りました。するとキリストは「もし、わたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。(ヨハネ13:8)」と言われました。つまり、キリストは、十字架でペテロを含む多くの人の罪を負い、死なれたのです。今日、キリストが私たちの足を洗うとすれば、ペテロと同じように恐縮するでしょう。でも、キリストは、はるかそれ以上のことを十字架で、私たちにも示してくださったのです。このことを覚えて、私たちもキリストにならい、自分の出来るところで愛の実践をしていければと思います。