●7月26日(日)第一礼拝メッセージ要旨(第二テモテ1:3~7)

テモテは祖母ロイスと母ユニケから信仰を受け継いだようです。使徒の働き16章、パウロの第二回伝道旅行のとき、テモテの名が出てきます。このときテモテは教会間で評判の良い人だったと記されていますし、パウロ自身もテモテを伝道旅行に同行させたいと思ったのですから、その当時テモテは生き生きとしていたことでしょう。しかし、テモテは、やがてパウロが獄中に捕らえられていることを聞き、心を弱らせていたのでしょう。パウロもそんなテモテのことを何らかの形で知り、この手紙でテモテを元気づけようとしたのでしょう。1章7節に「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」とあります。ここから、「力と愛と慎み」という題でポイントを三つあげます。

①力(元気)…私たち人間は時折、力どころか元気を失うときがあります。そんなとき、やはり私たちの元気の素はイエス・キリスト様です。ヘブル12:2~3には「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」とあります。

②愛(情け深さ)…6月28日(日)の第一礼拝では、「クリスチャン生活の基準」という題でマタイ22章36~40からお話ししました。律法の専門家がキリストに「大切な戒めはどれですか。」と質問すると、キリストは「心を尽くして神を愛すること。また、隣人を自分自身のように愛すること。その二つである。」と言われました。私たち人間は創造主である真の神によって創造され、生かされ、命を握られています。その神を恐れ、神の戒めを守って生きることが神を愛することです。そして、回りにいる家族、友人、知人、その他の隣人を愛すること、つまり、隣人の嫌がることをしないこと、また、隣人の益になることを計ることです。と言っても、弱さを持つ人間が、そんなに完璧に神を愛し、人を愛することなどできません。だから、十字架を見上げるしかありません。弱さをキリストに助けていただくということです。神がタテ、隣人がヨコとすると、タテ+ヨコ=十字架です。愛の基準もやはりイエス様です。

③慎み(謙遜)…本当に賢い人は、誰かに褒められたときに、有頂天になったりしません。箴言27:21には「るつぼは銀のため、炉は金のためにあるように、他人の称賛によって人はためされる。」とあります。賢い人は、謙虚さを失いません。箴言18:12には「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」とあります。人間にとって危険なことは高慢になること、高慢の行き着く先は破滅です。世界史上、最も謙遜だった方は、イエス・キリストです。「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。(ピリピ2:6~9)」

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