●6月28日(日)第一礼拝メッセージ要旨(マタイ22:36~40)

パリサイ人である律法の専門家がキリストをためそうとして、「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」と質問しました。それに対して、キリストが彼に答えた内容から、「クリスチャン生活の基準」という題で、ポイントを3つ上げます。

①タテの関係(神である主を愛せよ)…キリストは、律法の専門家の質問に対し、まず第一の戒めとして「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」という申命記6:5のみことばを引用されました。私たち人間は宇宙の創造主である神の中に生き、動き、また存在しています(使徒17:28参照)。空気、水、適度な気温、人間が生存するのに必要な環境を神は実に豊かに整えて下さっています。イザヤ44:24には「あなたを贖い、あなたを母の胎内にいる時から形造った方、はこう仰せられる。『わたしは万物を造っただ。わたしはひとりで天を張り延ばし、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。』」とあります。私たち人間は、本来この主である神を無視して生きるなどということは実に愚かなことで、この方を恐れ、この方と共に生き、そして、この方を愛して生きるべきであるということです。さて、その神を愛するということは、神の命令を守って生きるということです。それは十戒の第一戒から第四戒を守るということです。主なる神以外のものを神としない、偶像礼拝しない、主の御名をみだりに唱えない。そして、安息日を覚えて、これを聖とすること、つまり、日曜日を大切に位置付け、礼拝に参加するということです。
②ヨコの関係(隣人を愛せよ)…キリストは次にレビ記19:18のみことば「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」を引用されました。目に見えない真の神を信じていると言って、目に見える目の前の人を無視すべきではありません。さて、人を愛するとはどうすることでしょうか。「愛します。愛します。」と声を上げればよいというものではありません。最近はコロナのことがあり、ソーシャルディスタンスということが言われています。コロナは別として、人と人との関係は、この適度な距離感というものがあるものです。いわゆる、「人の心に土足で上がり込む」なんてことは、その人を愛することではありません。相手の嫌がることをしないこと、その人が本当に必要としているものを(自分の出来る範囲で)提供すべきです。十戒の第五戒から十戒がこの隣人を愛するということに関連します。
③十字架を見上げる…神とのタテの関係と人とのヨコの関係を最善なものにして生きることが理想ですが、私たち人間は完璧ではありません。弱さ、間違い、失敗があるのが人間です。しかし、イエス・キリストは、私たちの罪をその身に負うために十字架の救いを成し遂げられ、また罪を赦してくださり、日々の助けを与えて下さいます。つまり、神を愛し、人を愛して生きる。でも不完全な人間ですから、十字架で救いを完成されたイエス様を見上げ、イエス様に助けていただきながら生きることです。タテ棒+ヨコ棒=十字架です。タテとヨコと十字架、これがクリスチャン生活の基準です。

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