●9月27日(日)第一礼拝メッセージ要旨(詩篇145:1~21)

詩篇145篇は、150篇の中で最も霊調の高い詩篇であると、ある書の中で言われていました。「主を呼び求める者に主は近くあられる」という題で、四つの段落から四つポイントを上げていきます。

 ①「ほめたたえる」(1~7節)…NHKの大相撲中継で正岡子規の俳句が紹介されていました。「わづらふと聞けばあはれや角力取」です。力強く大きな身体を持つお相撲さんは強さの象徴的な存在ですが、お相撲さんも案外、病むときがあります。その強さと弱さのギャップが、その俳句となったのでしょう。聖書が示す真の神様は、この世界を創造し、それを統べ治め、偉大であり、恐ろしくもある方です。正に、大いなる方であり、賛美されるべき方です。この世においては、賛美されるべきではない対象が賛美されている現実があります。偶像礼拝はその最たるものです。私たちは、この宇宙の創造主である真の神を覚え、この方をほめたたえてまいりましょう。

 ②「主は情け深く、あわれみ深い」(8~13)…創造主である真の神の第一義的ご性質は「義」でしょうか「愛」でしょうか。順番を付けるというよりも、神は「義」という土台の上に、「愛」を表わされたと言えるのではないでしょうか。ヨハネ第一の手紙4章には「神は愛です」ということがその章全体で語られています。それは神の義という土台があって、その土台の上に神の愛が語られているのです。その第一ヨハネ4章10節には「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」とあります。「罪のためのなだめの供え物」、つまり神の義の前提の上に神の愛が表わされたのです。

 ③「願いを満たされる主」(14~16)…神は、野生の動物たちにも目を留めて、動物たちの求めに応じて、食物などの必要を満たしておられるのでしょう。まして、私たち人間の求めを放っておかれることがありえましょうか。

 ④「主を呼び求める」(17~21)…真の神は、私たちの祈りを待っておられます。誠実に主を呼び求める者に主は近くあられます。ヤコブ4:8には「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。」とあります。「二心の人」とはどういう人でしょう。あるときは神を愛し、また、あるときは世を愛するというような、どっちつかずの人です。どんなときも主にこころを向け、主の御名を呼び求めましょう。エレミヤ33:3です。「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」

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