●11月15日(日)礼拝メッセージ要旨(第一コリント4:1~21)

この第一コリント4章で、パウロはコリント教会の人たちに、遠回しにと言いましょうか、色々なことを語っていて、一見、分かりづらいのですが、結論は「キリストのような生き方をしなさい」、また「自分(パウロ)のような生き方をしてほしい」と言っているのです。最初に結論を出しておいて、3つのポイントをあげてまとめます。

①「神の奥義の管理者」(1節)…私たちは、この世に生きていて、様々なもの、例えば不動産や乗用車、また洋服などを所有し、それを管理しています。でも、もっと大事なものは自分自身の体です。健康管理をして、最近よく聞く「健康寿命」を伸ばしていきたいものです。そして、健康管理よりももっと目を向けるべきは魂の管理です。伝道者の書12:1には「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に。」とあります。イエス・キリストを信じ、罪の赦しと救いを受けて、魂の幸いを得ましょう。それが一番です。さて、ここで「神の奥義の管理者」ということですが、パウロは、神の福音を宣べ伝え、神の教会を建て上げる者として、自分で生んだコリント教会の人たちから批評を受けることに関して「非常に小さなことだ」と言っています。コリント教会の人たちが「子」とすれば、パウロは「父」です。父が子と同じ目線でやり合っていたとしたら立派な父親とは言えません。神の福音に仕える者は、神の奥義の管理者として、それに相応しい人格が求められるということでしょう。

②「一方にくみし、他方に反対」(6節)…コリント教会の人々は、パウロ派とかアポロ派などの派閥が出来ていました。誰かを支持するということは別の人に反対することでもあります。本来なら、パウロは植えた(教会を建て上げた)人、アポロは水を注いだ(教会の人々を養った)人として、それぞれの役割を受け持った人として受けとめるべきなのです。箴言16:4には「はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、悪者さえもわざわいの日のために造られた。」とあります。主はすべての人を形造られ、それぞれに目的をもっておられるのです。どんな人に対しても、自分の主義、主張、信条が違うからと言って、対立する対象とすべきではありません。妻あるいは夫、家族、教会のメンバー、職場の人も、たとい何かのことで憎らしく思ったとしても、決して憎むべきではなく、むしろ祝福を祈るべきなのです。悪魔も生きていて、私たち人間同士が対立し、争いを起こそうと策略を練っているのです。パウロは12~13節で「…はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、ののしられるときには、慰めのことばをかけます。…」と、驚くべきことを言っています。

③「キリスト・イエスにある生き方」(17節)…16節でパウロは「私にならう者になってください。」と大胆なことを言っていますが、実際にパウロは12~13節のようなことを実践していたのです。クリスチャン新聞福音版12月号には、横田早紀江さんに関する記事がありました。長女・めぐみさんが北朝鮮の工作員に拉致されてから43年も経過しているとのことです。最初の20年は、全く、どこに行ったのか見当もつかなかったそうです。苦しみの中にいるとき、友人が「ヨブ記を読んだら何か分かるかもしれない」と言って、聖書を読むことを勧めてくれたそうです。しばらくしてから、ヨブ記を読むと、記事の内容が心に入ってきて、「こんなふうに、人間に関わってくださる神さまがいらっしゃるのだ」と思ったそうです。その後、クリスチャンとなり、今は、「めぐみのことを一番気にかけて、見ていて下さるのは神さまなんです。だから平安でいられます。」と神に委ね、前向きに歩まれ、キリスト者としての香りを放っているのではないでしょうか。私たちも、悪を言わず、偽りを語らず、善を行ない、平和を求め、キリストのように、またパウロのように歩もうではありませんか。

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