●2021年1月31日(日)礼拝メッセージ「愛は人の徳を建てます」 

第一コリント8章から、ポイントを三つあげていきます。

①「偶像にささげた肉について」…当時のコリントの教会では、仲間割れ、信仰的な幼子、妬み、争い、不品行などの問題があり、これまでパウロは、このコリント人への手紙で、そのことを指摘してきました。さて、この8章では、偶像にささげた肉について、キリスト者が注意しなければならないことが記されています。4~6節にありますように、「偶像の神」と言っても、実際には存在せず、天地を創造した唯一の神がおられるだけです。ですから、偶像にささげた肉を食べたとしても、損にも益にもなりません。但し、それを、信仰的に未熟なキリスト者が見聞きして、せっかく救いを受けたのに再び偶像に舞い戻ってしまったら、それこそ大きな損失です。やはり、どんな人にも、つまずきを与えないように、知識よりも、まず愛によって行動すべきです。

②「つまずき」…新約聖書の原語のギリシャ語で、「つまずき」は σκανδαλιοv(スカンダリオン)という語が使われています。原意は「ワナ」「つまずかせる岩」です。英語ではstumblingとかoffenseが使われています。そのギリシャ語のスカンダリオンですが、たぶん、英語のscandal(スキャンダル)の語源と思われます。つまり、ちょっとしたつまずきが、後の大きなスキャンダル(醜聞)につながっていくのです。コロナ渦中の緊急事態宣言下で国会議員さんが真夜中のキャバレーに出没したとか、連日ニュースになっていますが、率先すべき立場の人が自ら模範を示さなければなりません。教会ももちろん、牧師、役員、宣教師などのリーダー的立場の人が教会員の模範となり、人につまずきを与えてはなりません。また、クリスチャンは教会の外の人々に対して、地の塩、世の光となるように、良き香りを放っていきたいものです。「イエス・キリストは尊敬するが、クリスチャンは尊敬できない」などと思われないようにしましょう。第一テモテ4:12には「年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい。」とあります。クリスチャンは聖書のことばと行動が一致し、いつも明るく、主にあって前向きで、誠実で、謙虚で、純潔であるべきです。

③「愛は人の徳を建てる」…S教会から創立50周年記念誌が送られてきました。その中に、一時、転勤で当つばめさわ教会の礼拝に参加していたKさんの証しがありました。Kさんが20年ほど前に、そのS教会に初めて行ったとき、教会の入り口に「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28)」というみことばを目にしました。そのときKさんは仕事で悩みを抱えていました。現実と理想のギャップを消化できずにいたのです。しかし、そのみことばによって彼は悩みを解決したのです。実は、その証しを読んだ筆者は、教会の掲示板に掲げている聖書のことばを、そのマタイ11:28のみことばに変えました。それまでは、偶像礼拝の空しさを伝える内容のみことばでしたが、なるほど、人々の心に寄り添う愛のメッセージのみことばの方が良いかもしれないと思い直しました。さて、第一コリント8:3には「人が神を愛するなら、その人は神に知られている」とあります。もちろん、全ての人は神に知られていますので、ここで、「神に知られている」というのは、神から特別待遇を受けているということでしょう。主の大きな恵みに感謝し、神に従い、神の愛によって行動していくとき、神はその人に目を留め、さらなる恵みを注いでくださることでしょう。

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