●2021年3月7日(日)礼拝メッセージ「ただ神の栄光を現わすため」 

第一コリント10:14~33からです。ここでは、食事に関連して、偶像礼拝を避けるようにという勧めがされています。キリスト者は、聖餐式を行ないます。それは、キリストの血に与ることであって、せっかく聖められたはずの人が、当時のコリントの地域性もあって、偶像にささげた肉を食し、悪霊と関わるようなことにならないようにと警告しています。そして、すべてのことは、してもよいが、すべてのことが有益とは限らない。食べるにも飲むにも何をするにも、ただ神の栄光を現わすことを求めるように、と勧めています。本日はここから、3つのポイントを上げて、私たち日本人の傾向に合わせた形でお話しします。

①偶像礼拝(14節)…先日3月3日は桃の節句、ひな祭りの日でしたが、クリスチャンはひな祭りをしません。ただ、ひな祭りは明確な偶像礼拝とも言い切れないところはあります。テレビで、仙台市内のある寺で、多くの家庭から不要になった数千体のひな人形を供養するというニュースを取り上げていました。供養という事は、正に人形を偶像化してしまっているということです。あの、正月後のどんと祭も、スーパーなどで購入した正月の松の飾りつけを何か神格(偶像)化して、正月が終わるとゴミ収集車にも出しにくいということで、どんと祭の存在があるのでしょうが、処分に困るようなものを最初から飾らなくても良いのにと思います。また、日本の多くの家庭には仏壇があり、位牌があります。徳川幕府の時代になり、本格的なキリシタン禁制が敷かれ、寺請制度、五人組などにより、キリシタンを徹底的に排除したのです。そのとき、仏壇が、仏教徒か否かの識別のため一役買ったと思われます。その結果、今でも、日本の多くの特に古い家では仏壇が当たり前のようにあります。しかし、出エジプト20:3には「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」とあります。先祖崇拝(言っておきますが、位牌に先祖の霊が来て住むなどということは決してありえません。)は偶像礼拝であり、それは創造主である聖なる神様の前では罪であり、神の祝福を受けることはできません。

②偶像と悪霊…偶像と悪霊とは一体化しています。悪霊が存在する所、それは罪のあるところです。殺意、憎しみ、妬み、偶像礼拝、そういった罪のあるところに悪霊が来て共存するのです。特に、良かれと思って偶像のある場所に頻繁に出入りしていると、いつしか、そこに行くと落ち着くなんてことになったら、そこから抜け出せなくなる恐れもあります。伝道者の書12:1には「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に。」とありますが、悪霊に支配され、心が頑なになる前に、創造主のみもとから来られたイエス・キリストの救いを受け、喜びと希望をもって毎日を過ごしましょう。イエス様を信じ、クリスチャンになるということは、悪霊(悪魔)の支配から脱し、聖なる神の支配に移されるのです。つまり、悪魔に囚われている人々の救いのために悪魔の敵となって真の神に仕える者となるのです。

③何をするにも神の栄光を現わそう…33節には「私も、人々が救われるために、自分の利益を求めず、多くの人の利益を求め、どんなことでも、みなの人を喜ばせているのですから。」とあります。キリスト者は、自分の利益よりも、回りの人々の利益、その人が真の意味で幸いを得、祝福されることを願う生き方が求められます。ある読み物に、こんな記事がありました。アメリカのトップクラスの大学を優秀な成績で卒業した若者に雑誌記者がインタビューしました。「将来、どうなさいますか?」「幸い、一流企業に入りましたから、早く出世して高給取りになりますよ。」「それから?」「あんまり年を取ってまで働かず、適当なところで隠退して、世界旅行や釣りをします。」「それから?」「うるさいなあ。多分死ぬんだろうよ。」と、そういった会話でした。人間は自分自身のためだけに生きていては行き詰まってしまいます。自分を創造してくださった真の神の栄光を現わすことを求めて生きるべきなのです。

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