●2025年12月14日(日)礼拝メッセージ要旨   

 クリスマスシーズンに因み、ヨハネの福音書1:1~14からです。「ことばは人となって」という題でポイント3つ上げていきます。

1.「全てのものはこの方によって造られた」…四つの福音書のうち、キリスト降誕についてマタイとルカの福音書は取り上げています。マルコとヨハネの福音書は降誕の記事はありません。ヨハネの福音書1章では、キリストが天地創造に関わったことが記されています。その1節では「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」とあります。その「ことば」はギリシャ語ではロゴス(λόγος)、単なる「ことば」ではなく、神のひとり子イエス・キリストの代名詞として用いられています。そして、2~3節では、「この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」、つまり、キリストは初めに神とともにおられ、全てのものは、イエス・キリストによって造られ、キリストによらずに出来たものは一つもない、と言っています。それは、聖書の他の箇所でも言っていることです。コロサイ1:16には「なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。」とあるとおりです。そのほか、箴言8:22~31も同じことを語っています。

2.「光は闇の中に輝いている」…生れながらの人間の心の中は闇の中にあると言えます。筆者である私・内藤は1976年4月26日の夕方、救い主イエス・キリトを信じ受け入れました。その直後、私の心は大きな喜びと安心感に満たされました。もちろん、物理的に光りが差し込んだわけではないのですが、正に闇の中にあった心の中に光が入ってきた感覚でした。ヨハネ8:12には「イエスは彼らに語って言われた。『わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。』」とあります。6~8節には、ここでバプテスマのヨハネのことが記されています。当時の人々は、バプテスマのヨハネが神から遣わされた預言者であると認めていました。そのヨハネはイエス・キリストについて「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」と紹介しました。そこにどんなにすばらしい救い主がいたとしても、その方が誰であるのかを知らなければ救い主として信じることはできません。今日も、イエス・キリストの福音を伝える人の働きは非常に大切です。ローマ10:14~15には「~聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」

3.「この方を受け入れた人々」…ヨハネ1:10~11には「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」とあります。イエス・キリスト様は、この世界をお造りになった創造主であり、この世界と宇宙のオーナーであるとも言えます。例えば、ある大会社のCEO(最高経営責任者)が自分の会社に入ってきたとき、その会社の社員が彼を知らないと言ったり、拒否したなら、そのCEOはどんな思いをするでしょう。イエス・キリストを無視することは、それを遥かに超えるとんでもない赦されざる暴挙とも言えてしまうのです。しかし、この方を信じ受け入れるならば神の子どもとされる特権が与えられるのです。

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