●2026年1月11日(日)礼拝メッセージ要旨 

 創世記49章1~33節からです。臨終を直前にしたヤコブが12人の子たちを集めて預言的祝福(祝福とは言えない内容も含め)を語ります。「ヤコブ、12部族を祝福」という題で、ポイント3つ上げていきます。

1.「ルベンからユダまで(1~12節)」…長男ルベンは「水のように奔放」だったと言われています。それは「父の床に上った」からです。つまり、節操が無かったということです。次男、三男のシメオンとレビは、シェケムで虐殺事件を起こしています。それゆえにカナン定着後には両部族とも散らされています。但し、レビ族は祭司職という理由で土地の割り当てがありません。またモーセが出ています。ユダ族は「王権はユダを離れず」と言われ、12部族中で断トツに祝福のことばを受けています。ユダは若いときには芳しくない道を行きましたが、特に、エジプトに二回目の穀物購入に行ったときです。ベニヤミン一人が監禁されかけたとき、ユダが「自分がベニヤミンの身代わりになる」と言っています。そのときエジプトの支配者として応対したヨセフは感極まって自分の素性を明かし、その後、ヤコブ一族は皆でエジプトに移住しています。人の一生を見るとき、子ども時代はもちろん、若い時も欠けが多いものです。もちろん、年を取っても欠けだらけです。それでも、私たちは、聖書のことばに教えられて、祈りつつ、成熟を目ざしていきたいと思います。

2.「ゼブルンからナフタリまで(13~21節)」…ダンとナフタリを取り上げましょう。彼らはラケルの女奴隷ビルハの子です。士師記13~16章でダン族出身の怪力サムソンが出てきます。彼はナジル人(聖別された者の意)として髪を切らずに伸ばしていました。それが怪力の秘訣でした。しかし彼は女性関係にだらしなく、デリラという女性に自分の秘密を打ち明け、とうとうペリシテ人に捕らえられます。最後は、ペリシテ3000人が入った建物の柱に縛り付けられますが、再び髪の毛が伸び、彼の怪力で自分と建物内の3000人と共に死にます。また、ダン族は士師記17章で正義とは言えない行動をしています。一方、ナフタリは21節で「ナフタリは放たれた雌鹿で、美しい小鹿を産む」と言われ、申命記33:23でモーセのことばとして「ナフタリは恵みに満ち足り、【主】の祝福に満たされている。西と南を所有せよ。」と言われています。カナン定着後はガリラヤ湖の西側、キリスト時代のイエス様の宣教の拠点となった地域を得ます。さて、この創世記49:18には前後の脈絡に関係なくポツンと「 【主】よ。私はあなたの救いを待ち望む。」とあります。何はともあれ、私たちは創造主によって形づくられ生かされている被造物に過ぎません。「主の救いを待ち望む」ことは人間にとって最も必要な「持つべき姿勢」と言えます。

3.「ヨセフ、ベニヤミンとヤコブ召天(22~33節)」…ヨセフに対する祝福は恵みに溢れています。この時点でヨセフは既にエジプト第二位の支配者であって、地位においても経済力においても他の兄弟たちとは比べ物にならないほどでした。しかし、ユダが受けたような崇高な次元の祝福ではありません。ベニヤミンは「かみ裂く狼」と言われています。士師記19~21章で、ベニヤミン族はイスラエル民族内での争いを起こしています。イスラエル初代王サウルはベニヤミン族の出です。ダビデが台頭してくると、サウル王はダビデの命を狙います。一方で、サウルの息子ヨナタンはダビデの味方をし、彼ら二人は篤い友情で結ばれていました。それゆえ、サウルとヨナタン亡き後、ダビデはサウル家の人々を粗末に扱いませんでした。12部族に対する預言的祝福を終えて、ヤコブは息を引き取りました。ヤコブ(イスラエル)ほど波瀾に富んだ生涯を送った人は中々いないでしょう。ヤコブのゆえにイスラエル民族があり、そのイスラエル民族を通して救い主イエス・キリストがこの世に来られ、唯一の救いの道を開いてくれました。

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