出エジプト記3:1~22から「わたしは『わたしはある』という者である」という題で、ポイント3つ上げていきます。
1.「主がモーセに現われる(1~10節)」…モーセはミデヤンの地にすっかり定住し、羊の群れを引き連れて、荒野の西側、神の山ホレブにやって来たときのことです。柴が燃えているのに焼け尽きないのを見て、不思議に思い、近づいて行くと、主が「モーセ、モーセ」と仰せられました。彼は「はい。ここにおります。」と言うと、主は「ここに近づくな。足の靴を脱げ。あなたの立っている所は聖なる地である。」と言われると、モーセは恐れて顔を隠します。そして主はモーセに「わたしはイスラエル人の叫びを聞いた。わたしは彼らをカナンの地へ上らせるために下って来た。わたしはあなたをパロのもとに遣わす。今行け。イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」と言われました。新約聖書においてイエス・キリストは弟子たちに「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。(マルコ16:15)」と言われました。また、パウロはローマ人の手紙10:15で「遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。『良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。』」と言っています。主がモーセに言われたと同じように、こんにちの私たちに対しても宣教者として、また主の証人として遣わそうとしておられます。
2.「モーセの問いかけ(11~15節)」…主から「エジプトに今行け」と言われたモーセは「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行って、イスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは。」と言います。すると主は「わたしはあなたと共にいる」と言われます。そこでモーセは「今、私はイスラエル人のところへ行きます」と応答しますが、彼には懸念することがありました。それは、「父祖の神が私を遣わされたと言っても、彼らは『その名は何ですか』と私に聞くでしょう。何と答えたらよいでしょうか」と尋ねます。すると主は「わたしは『わたしはある』という者である。」(אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה←読み方向【Ehyeh Asher Ehyeh】)と答えられます。英語では(I AM WHO I AM.)です。つまり、過去、現在、未来において永遠に存在する者であるという意味であろうと言われています。また、新改訳聖書では太文字で主とされている(יהוה)YHWH と関連するのではないかとも言われています。いずれにしましても、天地万物を創造し、それを統べ治めておられる絶対的で恐れ多い方であることは間違いありません。しかし、この方は、ただ恐ろしいだけではありません。Ⅱ歴代誌30:9bには「~あなたがたの神、【主】は、情け深く、あわれみ深い方であり、もし、あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたから御顔をそむけるようなことは決してなさいません。」とあります。
3.「主の補足説明(16~22節)」…主がモーセに対しては、ただ「行きなさい」だけではなく、行ってどのようにすべきか、また、そのとき相手の反応(イスラエル人の反応、そしてパロの反応まで言及しています。)はどうか、ということにまで細かく説明しています。聖書が示している全知全能の神は、ご自身のみこころを懇切丁寧に私たちのために示しておられます。旧約39巻、新約27巻、合計66巻、新改訳聖書第三版では旧約1568ページ、新約503ページ、合計2071ページに渡ってそのみこころを示しておられます。私たちは、この聖書を読み、神のみこころに従順に聞き従わねばなりません。最後はイザヤ書55:6~9です。「【主】を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。【主】に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。『わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。──【主】の御告げ──天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。』」