出エジプト記4:18~31から「モーセ再びエジプトへ」という題で、ポイント3つ上げていきます。
1.「わたしは彼(パロ)の心をかたくなにする(18~23節)」…まずモーセは、しゅうとのイテロに「エジプトに帰って親類の安否を尋ねさせてください」と言います。正直に言うなら、親類の安否確認ではなく、主から命じられた使命のためであったのですが、ここでモーセは知恵を用いてイテロが心配しないような言い方をしたと思われます。さて、主はモーセに改めてエジプトに行くように仰せられますが、「わたしは彼(パロ)の心をかたくなにする」と一見、不可解なことを付け加えておられます。結果として、モーセとアロンは、杖が蛇になるしるしの他に十のしるしを行なうことになります。これは何を意味するのでしょう。それは、神、主のわざが多くなることによって、それを見た人々が主を恐れ、主を崇め、主の栄光が現われるということです。「地の王たちよ。すべての国民よ。君主たちよ。地のすべてのさばきづかさよ。若い男よ。若い女よ。年老いた者と幼い者よ。彼らに【主】の名をほめたたえさせよ。主の御名だけがあがめられ、その威光は地と天の上にあるからだ。(詩篇148:11~13)」
2.「あなたは血の花婿です(24~26節)」…いよいよモーセは、妻と息子たちを伴いエジプトに向かって旅立ちます。ところが、一夜を明かす場所で主はモーセに会われ、彼を殺そうとします。そのとき、妻のチッポラは息子の包皮を切り、それをモーセの両足につけて「まことにあなたは私にとって血の花婿です」と言います。この記事は第一のポイントに続いて、さらに解釈が難しいところです。筆者の推測になりますが、ミデヤンで平穏に暮らしていたモーセの家族がいきなりエジプトに出かけて行き、イスラエル人の救出のために行動しなくてはならない、ということはモーセの妻チッポラの立場からすれば、簡単に「はい。行きます。」というわけにはいきません。夫のモーセと何らかの軋轢(あつれき)があったのではないかと思われます。しかし、ここで夫が死ぬかもしれないという状況に立たされたチッポラは、夫の命のためには自分の立場など問題では無くなったのではないでしょうか。Ⅰコリント10:12~13です。「 ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」
3.「アロンとともに(27~31節)」…主は、既にエジプトからアロンを呼び寄せておられ、モーセとアロンは神の山ホレブで再会を果たします。モーセはアロンに、主が自分に語られたことを伝えます。そしてエジプトに行き、イスラエル人の長老たちを集め、主がモーセに語られたことをアロンが伝え、しるしを行ないます。すると、長老たちは信じ、ひざまずいて主を礼拝するのです。エジプトで苦役を強いられているイスラエル人にとって、全知全能の主の権威の下でモーセとアロンが伝えてくれた神のご計画は、どれほど大きな慰めと希望をもたらしてくれたことでしょう。それは今日(こんにち)、私たちに与えられているイエス・キリストの十字架の救いによる福音と重なります。パウロはダマスコへの途上、イエス様から「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。(使徒26:18)」と言われました。