マタイ5:17~32から「律法の全部が成就されます」という題でポイント3つ上げていきます。
1.「わたしが来たのは律法成就をするため」…聖書を理解しようとするとき、基本的に、旧約聖書に書かれていることが新約聖書で成就するという図式があります。例えば、創世記22章で神に命じられたアブラハムがイサクをささげようとした場面があります。それは、天の父なる神様がひとり子イエス・キリストを世に送り、十字架の救いを成し遂げられることの予表として見ることができます。また、出エジプト記2章で、モーセが生まれた当時、エジプトの中でイスラエル人が多くなり、パロ王にとってはイスラエル人の存在が脅威となったので、生まれたイスラエル人はナイル川に投げ込まなければならないとされ、そのとき赤子のモーセはパピルスのかごに入れられ、ナイル川の岸辺に置かれます。そのとき、パロの娘がモーセを発見し、その子を自分の子として育てます。イエス様がベツレヘムお生まれになったとき、ちょうど当方の博士たちがヘロデ王に謁見し、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか」と言ったので、ヘロデは恐れ惑い、その後で、ベツレヘム近辺の二歳以下の男の子を殺させます。その直前に、ヨセフは夢で妻子を連れてエジプトに逃げるように主の使いに言われています。その他、旧約聖書で語られていることがイエス様によって成就していることは無数に見られます。ヨハネ5:39には「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」とあります。
2.「人を殺してはならない」…殺人は重大犯罪であり、そんなことをすれば、その人の人生は終わってしまうと言っても過言ではありません。イエス様は、人の心の根底にあるものを指摘しています。「ばか者」と言う者はゲヘナ(当時のゴミ捨て場であるが地獄のこと)に投げ込まれると言っています。また、誰かに恨まれていたらすぐに和解するようにと教えています。但し、自分が和解しようと努めても相手が応じないことがあるかもしれません。そのときはローマ12:18に「 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。」とありますから、「自分に関する限り」は自分が謝ったり、相手を赦したりすることです。またたとい、自分が正しくて理不尽なことを言われたとしてもⅠコリント6:7には「 そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。」とあります。キリスト者には、あの十字架のイエス様のように歩むことが期待されています。
3.「姦淫してはならない」…十戒においては第7番目の戒めです。6番目から「殺してはならない」「姦淫してはならない」「盗んではならない」「偽証を立ててはならない」「貪ってはならない」と続きます。その中でも「姦淫の罪」は、人間の持つ最も弱い部分が試される罪とも言えるでしょう。ですから、充分に警戒をしなければなりません。例えば、サッカーの試合で、選手が相手チームの選手を蹴ったり暴力行為を働くと審判がイエローカードを出したり、場合によってはレッドカードで退場を命じられます。しかし、サッカーの場合は、基本的に2試合ほどの出場停止で、再び試合に出られます。「姦淫の罪」は、サッカーの競技のようなわけにはいきません。その人の人生に大きな禍根を残し、場合によっては人生を破滅へと追いやられます。ですから、そうならないための徹底した対策をするように、語られています。Ⅱテモテ2:22です。「それで、あなたは、若い時の情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。」