6月8日は2025年のペンテコステ記念日です。キリストの降誕、そして十字架と復活の救い、さらに、七週の祭り(五旬節)と関連するペンテコステの聖霊降臨は重要です。ということで、使徒の働き2:1~21から「五旬節の日になって」という題で、ポイント三つ上げていきます。
1.「五旬節の日になって」…筆者が住んでいる家の西側は田んぼが広がっています。今年は、家のすぐそばの田んぼ麦畑になっています。今年のイースターの日である4月20日頃は、緑色でしたが、それから七週間後の現在は刈り入れを待つばかりとなっています。ちょうど、聖書の記事と時期が重なっています。旧約聖書のイスラエル人が守るべき年三度の祭りのうちの「七週の祭り」が影であるとするなら、その実像は、新約聖書の使徒の働き2章に記されている五旬節の聖霊降臨の出来事であると言えます。レビ記23:15~17には「あなたがたは、安息日の翌日から、すなわち奉献物の束を持って来た日から、満七週間が終わるまでを数える。七回目の安息日の翌日まで五十日を数え、あなたがたは新しい穀物のささげ物を【主】にささげなければならない。あなたがたの住まいから、奉献物としてパン──【主】への初穂として、十分の二エパの小麦粉にパン種を入れて焼かれるもの──二個を持って来なければならない。」とあります。過越しの祭りには「種を入れないパン」が使われます。それは罪の無いイエス・キリストのみからだを表しています。しかし、七週の祭りはパン種の入ったパンなのです。あるメシアニックジュー(ユダヤ人クリスチャン)のYouTubeでの解説を聞いたところ、「パン種の入った二つのパンとはイスラエル人と異邦人を表わし、両者は聖霊によって共にキリストのからだに連なり一つにされる」ということを表わすとのことでした。
2.「それぞれの国の言語で」…キリストは、天に昇られる前に弟子たちに「エルサレムを離れないで父の約束を待ちなさい」と言われます。そのことばに従って集まっていた弟子たちに激しい風の音とともに聖霊が降臨したのです。その頃、過ぎ越しの祭り、そして続いて行われる七週の祭りのために、ユダヤ周辺の諸国から敬虔なユダヤ教徒たちがエルサレムに集まっていました。彼らは尋常ではない物音を聞いてキリストの弟子たちがいた場所に集まって来ました。すると、弟子たちは聖霊で満たされ、御霊が話させてくださるとおりに他国の言葉、すなわち集まって来ていた周辺諸国の国語で話しているのですから驚きました。しかし、中には「彼らはぶどう酒に酔っているのだ」と、あざける者たちもいました。そこでペテロが立ち上がり、福音を宣べ伝え、結果的にその日3000人がバプテスマを受け、弟子に加えられます。ところで、Ⅰコリント12章は、聖霊の賜物についての詳しい記事となっています。他国の言葉で話す異言もそのうちの一つの賜物です。但し、その12章3節には「聖霊によるのでなければ誰も『イエスは主です』と言うことはできない」とありますので、たとい、賜物らしきものが与えられていないと思う人でも、イエス・キリストを心から信じて、「イエスは主です」と告白できる人は聖霊を受けているのです。もちろん、そこで慢心していてはなりません。同章31節には「より優れた賜物を熱心に求めなさい」とあります。
3.「わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する」…ペテロは、集まった諸国から来た敬虔なユダヤ人たちに宣教のことばを語ったとき、最初にヨエル書2:28~32を引用して語り始めます。正に、使徒たちは、そのヨエル書の預言通りに聖霊充満され預言したのです。この出来事はAD30年頃のことです。それから2000年ほど経過した終わりの日に近い現在も、この預言は続いています。私たちも聖霊充満され、預言する、つまり、主から聖書のみことばを預かって人々に伝えるのです。「太陽は闇となり、月は血に変わる」、そのような時が近づいているのです。しかし、主の御名(救い主イエス・キリストの御名)を呼び求める者は皆救われます。自分自身はもちろん、回りの人々も、その救いに与ることを切に願い求めてまいりましょう。