●2024年11月24日(日)礼拝メッセージ要旨
創世記5:1~32から「神とともに歩んだエノク」という題でポイントを3つ上げていきます。
1.「彼のかたちどおりの子を生んだ」…カインは殺人者でさすらい人とされ、アダムの後継から除外された形となりました。そこで、4章25節で言っているように、神はアダムにセツを授けられました。アダムは神に似せて造られました。そして、アダムの子セツは彼に似せて、彼のかたちどおりの子でした。すなわち、セツも神に似せて造られたのです。4章26節では、セツにエノシュが生れたとき、「人々は主の名によって祈ることを始めた」とありますから、たぶん、セツも祈ることを始めた張本人の一人であったのではないかと推測できます。そういう意味においても、セツは神に似た者であったと言えるでしょう。ピリピ3:21には「キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」とあります。やがて終わりのラッパが鳴る時、キリストにある者は不死を着て復活の体に変えられます。そのときが来るまで、私たちはこの地上においてキリストを慕い求め、キリストに似た者とされることを求めてまいりましょう。
2.「エノクは神と共に歩んだ」…Ⅱ列王記2:11でエリヤは生きたまま天に引き上げられています。エノクも死を見ることなく天に引き上げられたようです。エノクはなぜ天に引き上げられたのでしょう。「神とともに歩んだ」からです。エノクが神とともに歩むようになったのは、彼が65才のときメトシェラが生れたときからです。「メトシェラ」の名前には「彼が死ぬとき、それは始まった」という意味があるようです。つまり、エノクにメトシェラが生れたとき、神からエノクに対して何らかの啓示があったのではないかと思われます。メトシェラ187才のときレメクが生まれ、レメクが182才のときノアが生まれます。そしてノアが600才のとき大洪水が起きます。187+182+600=969です。ノアの大洪水の年にメトシェラが969才で死にました。順序としては、おそらくメトシェラが死んだ直後に大洪水が起きたと思われます。エノクは神からの啓示を真摯に受けとめ、神と共に歩み、それゆえに生きたまま天に引き上げられました。ヘブル4:2には「福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。」とあり、このエノクとは真逆の人々、約束のカナンの地に入れなかったイスラエルの民のことが指摘されています。私たちは、エノクのように、神のことばに従い、まことのいのちに与る者とされましょう。
3.「この子は慰めを与えてくれるであろう」…メトシェラの子レメクが182才のときノアが生まれます。そのときレメクは「【主】がこの地をのろわれたゆえに、私たちは働き、この手で苦労しているが、この私たちに、この子は慰めを与えてくれるであろう。」と言っています。当時、あのカインの子孫も共存しています。それゆえの悪もあったでしょうし、それに関連する「のろい」のゆえにレメクも苦労していたことがうかがえます。そして、その600年後、ノアの大洪水が起こります。その当時、地上に人の悪が増大し、その中でノアは正しい人であり、全き人で、神とともに歩んでいたのです。この章では、生きたまま天に引きき上げられたエノクと大洪水の只中を経験するノアの誕生が記されています。マタイ24:37には「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。」とあります。当時は洪水によって滅びましたが、今の世界は火に焼かれるためにとっておかれています(Ⅱペテロ3:6~7参照)。また、マタイ24:31には「人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。」とあります。イエス・キリストの再臨の日が近づいています。終わりのラッパが鳴り響くとき、キリストにある人々はエノクのように天に携え挙げられるのです。そして永遠の安息の中に入るのです。