●2022年5月15日(日)礼拝メッセージ要旨

ピリピ2:1~14から「へりくだりなさい」という題でポイントを3つ上げて行きます。

①一致を保ちなさい…日本は大和(やまと)と呼ばれていました。和を重んじるということですが、それはお上(かみ)に逆らわないという意味での和です。生き生きとした組織であるなら、例えば、会議が行われたら自由闊達に議論され、良いアイデアなら、それがその組織に反映されていくでしょう。教会で行われる会議なども、基本的には、そのようであるべきです。但し、その際、キリストの愛がそこを支配することが望ましいでしょう。そして、「信仰の一致と神の御子に関する知識の一致(エペソ4:13)」とあるように、聖書のことばを土台として、会議の結論が「キリストのみこころを行なう」ということで一致するのが理想です。実際的には、そういった理想から外れることがあるかもしれませんが、少なくとも、そこを目指すべきでしょう。

②互いにへりくだりなさい…イエス・キリストは弟子たちの足を洗いました。そして、十字架の死にまでも従われました。それゆえに、神はキリストの名を高く上げました。アメリカ元大統領のジミー・カーター氏は、大統領を辞めた後も、北朝鮮やキューバに行き、平和のために多大な貢献をしました。それゆえにノーベル平和賞を受賞しています。また、カーター氏は福音的な教会に所属する熱心なクリスチャンで、毎週、教会の礼拝に出席に、日曜学校で子供たちに教えています。現在98歳です。彼は謙遜に神に仕え、神の栄光を現わしています。箴言18:12には「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」とあります。私たちも、天の神からの朽ちることのない栄冠のために、謙遜に神と人とに仕えてまいりましょう。

③自分の救いの達成…「救い」は、行ないによらず恵みにより、ただ、イエス・キリストを信じる信仰によります。使徒16:31には「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」とあり、「ローマ10:13には「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」とあります。但し、このピリピ2:12で語られている「救いの達成」とは、自分に与えられた使命を全うするということでしょう。第二テモテ4:7でパウロは「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」と言い、自分の身に殉教のときが迫っていることを察知し、正に自分自身の「救いの達成」に励んできたということを告白しているのです。モーセはミデヤンの地に住んでいましたが、80歳で、神に召され、エジプトに遣わされ、同胞イスラエル民族の救出のために立ち上がり120歳まで仕えました。ピリピ2:13には「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」とあります。神は私たち一人ひとりの心に語りかけ、その思いを与え、そしてそれを達成することができるように助けてくださるのです。

●2022年5月8日(日)礼拝メッセージ要旨

ピリピ1:19~30から「生きることはキリスト」という題でポイントを三つ上げて行きます。

①生きることはキリスト… 昔(45年程前)の思い出です。静岡県の山奥の山道をどんどん上った場所にプールやテニスコートなどを備えた施設があり、そこで教会主催の青少年を対象にしたキャンプが行われていました。当時、筆者は洗礼を受けたばかりで、初めて参加したときは、本当に楽しく、恵みを受けたことを覚えています。それは、この世のテレビや新聞などの情報網から隔離され、聖書のことば、祈り、クリスチャン同士の交わりの中に置かれ、心の中に入ってくるものはキリスト教的(聖書的)なものばかりだったからです。最近はコロナ渦で、どこの教会もそういったキャンプの実行には躊躇していることと思いますが、環境さえ整えば、実現したいところでしょう。つまり、クリスチャンとして、成長し、生活の全てがイエス・キリストで満たされるようになることが理想です。パウロの場合は、そこからさらに「生きることはキリスト、死ぬことも益です」と、「死」さえもキリストの御名が崇められることを求めていたのです。

②福音にふさわしく生活しなさい…パウロは元々、ユダヤ教の熱心な信者で、キリスト者を迫害していました。しかし、エルサレムからダマスコ途上で聖霊なるキリストに出会い、回心したあと、今度はキリストの福音を熱心に伝道しました。パウロの宣教は驚くべきもので、短期間のうちに当時の世界に対して、福音によって大きな影響を与えました。しかし、それゆえに捕らえられ、囚人とされました。今日、ヨーロッパでは、キリスト教文化が根付いています。それだけ、キリスト教による社会生活へ大きな影響力があったのです。日本は明治になって、欧米先進国からキリスト教の解禁を迫られ、ようやくのこと信教の自由(キリシタン禁制の高札が撤去される)が認められるようになりました。そして、第二次世界大戦が終戦になってから、日本に民主主義、男女平等、婦人参政権が定着するようになりました。但し、最近(ここ数年)の日本はそういった歴史に逆行するような兆候も見られ、民主主義国家であるにもかかわらず、報道の自由度世界ランキングでは71位という低い位置に降下しています。「主の祈り」の中に「御心の天になるごとく地にもなさせたまえ」という文言があります。クリスチャンが教会から世に出て行き、キリストの福音によって、社会に良い影響力を及ぼしていかねばなりません。

③キリストの苦しみをも賜った…全ての人は、この世において、重荷や苦しみを持って生活しています。クリスチャンには、罪の赦しがあり、義とされて、神の子どもとされ、生きる目的が与えられ、希望があります。しかし、また別の苦しみがあります。第二テモテ3:12には「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」とあります。クリスチャンとして誠実に、且つ熱心に歩むとき、迫害もあるのです。ロシアがウクライナに侵攻するとき、プーチン大統領はロシア正教のトップと会談し、その人の支持を得ているとのことです。どう考えても敬虔に生きるはずのキリスト者であるなら、ウクライナ侵攻を支持することはできないでしょう。結局のところ、その背後には霊的な戦いがあるのです。エペソ6:12には「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」とあります。悪魔と行動を共にして悪魔と同じ地獄に行くのか?それとも、たとい迫害を受けてもイエス・キリストとともに苦しむか?どちらを選ぶべきでしょうか。もちろん、イエス・キリストと共に歩む道を選びましょう。

●2022年5月1日(日)礼拝メッセージ要旨

ピリピ1:1~18からです。マケドニヤのピリピは、パウロがアジア宣教からヨーロッパ宣教に導かれて、最初の拠点となったところです。紫布の商人・ルデヤの家族、また、一時、パウロとシラスが囚人とされていた獄舎の看守の家族などがピリピの教会に在籍していたと思われます。「福音を広めることに与ってきた」という題でポイントを3つ上げていきます。

①福音を広めることに与ってきた…パウロは、ピリピの教会の人々を心から喜び感謝していました。それは彼らが福音宣教に対して協力的だったからです。実は、福音宣教は、クリスチャンにとっては大きな位置を占めています。人間を電車に例えるとしましょう。電車は二つのレールで走ります。同じように私たち人間は二つの目標を持って生きるのです。一つは神を愛することです(マタイ22:37)。もう一つは人を愛することです(マタイ22:39)。イスラエルにはガリラヤ湖と死海があります。ガリラヤ湖は高い山から流れてきた水を受けて、ヨルダン川に流しています。だから湖が生きていて魚が住めます。しかし、海抜マイナス400mの死海はヨルダン川から流れてきた水を受けるだけなので、魚が住めず、それで死海と呼ばれているのです。私たち人間も同じです。神から受けた恵みを回りの人々に分かち合うのです。自分だけを愛していては行き詰まってしまうでしょう。私たちが生き生きと生きるためには他の人も愛することです。その究極が福音宣教なのです。

②真にすぐれたものを見分ける…俗に言われる「ブランド品」だけが良い品ではありません。無名でも良い品はたくさんあるでしょう。逆に、ブランド品と言っても、その名前が知られているだけで、無名品に比べてそれほど大きな違いがあるとは言えないでしょう。ですから、ブランド品としてのイメージを確立した企業の経営戦略を評価すべきでしょう。そういった、物を見る目も大事ですが、もっと大事なのは真実を見極める霊的な目です。今、岸田政権になって、日韓関係を修復しようと言う働きかけがあります。数年前、徴用工問題に関して、韓国で行われた裁判が発端となって、日本側が韓国に対してホワイト国の除外を宣告し、それを機に日韓関係が冷え込み、それまで行なわれてきた日韓間の貿易などが著しく停滞してしまいました。徴用工問題、また慰安婦問題を考えてみるとき、1910~1945年の35年間の日韓併合の時代に何があったのかという歴史をしっかりと検証し、その間、朝鮮半島の人々がどういった思いを日本に対して持って過ごしていたのかということを無視すべきではありません。テレビやインターネットからのプロパガンダ的に流される情報の洪水に流されることなく、自分の目と耳でよく調べ、また、聖書を基準として冷静で正しい判断をしなければなりません。何に価値を置くべきなのか、本当に真にすぐれたものを見分ける判断力が、これから益々必要となるでしょう。

③キリストが宣べ伝えられることを喜ぶ…パウロは、ピリピ教会の人々のことを概ね喜んでいますが、一部の人々の中には「党派心をもってキリストを宣べ伝えた(17節)」人もいたようで、その人たちがパウロを苦しめたようです。しかしパウロは、何はともあれ、福音が宣べ伝えられていることを喜んだのです。案外、私たちは、自尊心やどうでもよいようなことに捕らわれて、大事なものを見失ってしまうことがあります。その点、パウロは神の目線で物事を見通し、大事な目標から目を離すことはありませんでした。

●2022年4月24日(日)礼拝メッセージ要旨

これまでエペソ人への手紙から11回にわたって学んできました。今回は12回目の最後です。エペソ6:10~24から、「主の大能の力によって強められなさい」という題で、ポイント3つ上げていきます。

霊的な戦い…私たちが戦うべき相手は人間ではなく、空中の支配者である諸々の悪霊であるとパウロは言っています。この世界を創造した真の神様はおられます。また、その聖なる神に敵対する悪魔とかサタンとか悪霊と呼ばれる存在があることを聖書は初めから教えています。悪魔の最後は滅びです。彼は、一人でも多くの人々を自分と同じ滅びに向かわせようと日夜活動しています。私たちは、聖なる神の御子イエス・キリストにより、悪魔の支配下から解放され、神の子どもとされて、神に喜ばれる生き方を求めましょう。第一ペテロ5:8~9aには「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。」とあります。悪魔が喜ぶような生き方ではなく、むしろ悪魔に立ち向かい、悪魔と同じ滅びに向かっている人々を福音によって救いに導くための霊的な戦いの中に身を置く者でありたいと思います。

②霊的戦いの武具…霊的戦いに勝利するためには、霊的戦いの武具を身に着けなくてはなりません。1.腰には真理の帯を締めましょう。真理とは本当のことです。正しく真理はイエス様にあり(エペソ4:21)ます。私たちは本当のこと、真理に基づいた行動をしましょう。2.胸には正義の胸当てです。悪いことをしていたら霊的な戦いはできません。3.足には平和の福音を履きましょう。いつでも福音を伝えられる準備(第一ペテロ3:15)をしていましょう。4.信仰の大盾を取りましょう。悪魔からの火矢から身を守るのは信仰の大盾です。私たちは、この世に生きている限り、様々な重荷が舞い込んできます。重荷は主にお任せし、動揺しないで自分がすべきことをすればよいのです。5.救いのかぶと、いつも救いの喜びの中に希望をもって歩みましょう。6.御霊の与える剣である神のことばを受け取りましょう。聖書のことばは私たちが歩む道に光を照らしてくれます(詩篇119:105)。みことばに導かれるなら躓くことはありません。

③祈りの力…6つの霊的戦いの武具を持ったら、もう一つ、祈りを加えるのです。祈りは独善的であってはなりません。「主の祈り」を通してイエス様が教えてくれたように、正しく祈らねばなりません。そして、的を射た祈り、つまり敵である悪魔にダメージを与えるような祈りであるべきでしょう。今年は4月17日が復活祭でした。そして、その七週間後、つまり、復活祭から50日目の6月5日が五旬節(ペンテコステ)です。この日に弟子たちに聖霊が降り、初代教会が誕生し、世界宣教が始まって行ったのです。現在、新型コロナウィルス、戦争、地震が実際に起こっています。そして、それらの影響で、私たちの生活は一瞬にして変わることがあります。今、殆どの人々は福音に対して心を閉じています。しかし、何かの事で一瞬にして、福音に対して目覚める時が来るかもしれません。私たちは、その時に備え、聖霊充満され、主の大能の力によって強められましょう。

●2022年4月17日(日)礼拝メッセージ要旨

イースター(復活祭)に因んで「空っぽの墓」という題で、マタイ28:1~10から、復活祭のメッセージです。

①空っぽの墓…ローマ兵たちはキリストが葬られた墓の番を厳重にしていましたが、主の使いが現われ、墓の封印は簡単に破られました。番をしていた兵たちは恐ろしさのあまり、気を失っていましたが、彼らはその後、ユダヤの祭司長たちの所に行き、それらのことを報告しました。すると祭司長たちは、兵士たちに多額の金を払い「自分たちが夜寝ていると、弟子たちがキリストの体を盗んで行った」と言うように告げます。昔も今も自分の利益のためにフェイクニュースを拡散する人がいます。しかし、世の中に事実は一つです。イエス様は確かに復活し、墓は確かに空っぽになったのです。私たちは、世にはびこるフェイクニュースに惑わされることなく、真実を求めて生きるべきです。

②復活したイエス様…マグダラのマリヤと他のマリヤはキリストのお体に油を塗りに行こうと考えていました。しかし、墓に着くと、み使いに出会い、キリストが復活したことを聞きます。(※別の福音書では、女たちはみ使いに出会う前に墓に主のお体が無いことを確認して、ペテロたちに告げ、そのあとでみ使いに出会い、さらにキリストに出会っています。)そして今度はキリストに出会い、「恐れてはいけません」と言われたのです。今から46年前、1976年4月25日に筆者の母親が亡くなりました。(筆者は、その次の日の4月26日にイエス様を心に迎え入れました。)自宅で納棺式のとき、牧師先生がヨハネ14:1節~6節(たぶん)を読みました。その1節の「心を騒がしてはなりません」というみことばが私の心に入ってきました。6節には「わたしが道である」とあります。イエス・キリストは死者の中から復活し、信じる者のために天国への道を備えられたのです。そして、第一コリント15:20には「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」とあります。つまり、復活の先がけとなったのです。今日、私たちも、子供のように素直な心でイエス様を信じ受け入れるならば、イエス様と同じように復活の体に与り、たとい死んでも生きるのです。

③ガリラヤに行きなさい…復活したキリストに最初に出会ったのはマグダラのマリヤです。彼女はかつて七つの悪霊に憑かれていました。つまり、身も心もボロボロだったのです。しかし、イエス様によって解放され、新しくなり、誰よりも主を愛し、行動したのです。さて、キリストは元々ガリラヤで宣教を開始しました。そして、死者から復活したキリストは、弟子たちにガリラヤに行くように言われました。マタイ4:15~16には「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」とあります。この当時、ガリラヤは見下げられたような地でした。しかし、主は、そういった地に目を留められ、復活後、またその地に行かれ、そこで弟子たちに大宣教命令を授けています。私たちにとって大事なことは、神に立ち返り、マグダラのマリヤのように、また11人の弟子たちのように神に従って行くことです。

●2022年4月10日(日)礼拝メッセージ要旨…「あなたは幸せになる」

本日はエペソ6:1~9からです。エペソ書は恵みのみことばの宝庫で、教理的な内容が多い中、5章22節から6章9節までは人間関係について言及しています。先週後半では、夫婦についてのあり方についてでした。今日は、親子関係、さらに職場における主従関係についてなど、見ていきましょう。

①父母を敬うことの祝福…1節では、「主にあって両親に従いなさい」とあります。「主にあって」とは、少なくとも聖書的に罪になることなら、従う必要はありません。例えば未信者の両親が偶像礼拝を強要した場合などは従うべきではありません。2~3節では、父母を敬うことによって、その人は幸せになり、長生きするということが記されています。旧約聖書の引用箇所である出エジプト記20:12にもそう書いてあります。現代においては医療技術が進み、多くの人は、医療が人の健康を維持しているように錯覚しているようなところがあるのではないでしょうか。もちろん、実際に医療が現代社会にとって大いに貢献していることは異論ありません。しかし、人間の命を握っているのは天地を創造した真の神です。神が人を生かしておられるのです。人は神を恐れ、父母を敬い、神のみこころを行なうことによって、神はその人を祝福し、また、健康も守ってくださるのです。

②人間関係と十戒…マタイ22章で、一人の律法の専門家がキリストを試そうとして、「大切な戒めはどれですか」と質問します。するとキリストは「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。(マタイ22:37~40)」と答えられました。具体的にどうするのかというと、十戒の中の「しなさい」という第四と第五の戒めを実行することです。すなわち、礼拝を守り、父母を敬うことによって、十戒を全て守ることになります。ところで、神の民として選ばれたユダヤ人は、世界中に離散し、ホロコーストなどの壮絶な経験をして、今日、イスラエルに帰還しつつあります。彼らの多くは、安息日を守って来ました。そのことが神の民としての証しでもあります。「安息日を守る」とは、神を第一とするということです。神を愛し、隣人を自分自身のように愛する人に、神は共におられて祝福してくださいます。「隣人を自分自身のように愛する」とは、その人の立場に自分を置き換えて物事を見るということです。そうすることによって自分がどうあるべきかが見えてきます。今、私たちは難しい時代の中に生かされています。自分に出来る最善を尽くしつつも、イエス・キリストの父なる神に信頼し、期待し、神の祝福を待ち望んでいきましょう。

●2022年4月3日(日)礼拝メッセージ要旨…「御霊に満たされなさい」 

エぺソ人への手紙5:15~33「御霊に満たされなさい」という題でポイント4つ上げていきます。

①機会を十分に生かして用いなさい…賢い人は機会を生かして用いる人です。「時は金なり」という言葉があります。一般的にお金は大切なものという認識があるので、それだけ、時は大切であるとする分かりやすい言葉です。私たちそれぞれに与えられている時をどのように使うかで、その人が賢い人かどうか分かるということです。特に、クリスチャンが求めるべきは、神の国とその義です。そこに焦点を当てた時間の使い方が求められていると言えます。

②御霊に満たされなさい…18節には、お酒に酔っぱらうことと、御霊に満たされることとが併記してあります。この二つは真逆のことですが、一部重なるところもあります。お酒に酔っぱらうと、気が大きくなり、ご機嫌になりますが、道徳面においては乱れる傾向があります。一方、御霊に満たされると、全能の神が共におられるので大胆になり、心は喜びに溢れます。そして善意と正義と真実を心掛けるようになります。さて、その御霊に満たされるためにはどうしたらよいでしょうか。WWPPです。礼拝(Worship)、聖書のことば(Word)、祈り(Pray)、宣教(Preach)です。その中で特に大事なのは「祈り」です。いかにして充実した祈りをするかでしょう。 

③すべてのことに感謝しなさい…実際に、私たちは全てのことに感謝することは難しいでしょう。戦争、疫病、地震などが起こると感謝できるでしょうか。また、日常生活で問題が起こると、感謝するのが難しいでしょう。だからと言って、問題ばかりに目を留めて呟いていたら、益々心は暗くなって行きます。しかし、神を愛する者のためには、神は、全てのことを益に変えてくださる(ローマ8:28)のです。だから、今、先のことは分からなくても、神を信頼し、神に委ねて期待して、すべてのことに感謝しましょう。そうするならば、その人の心は希望の光に照らされるでしょう。

④この奥義は偉大です…22節から33節は結婚生活の教えです。妻は夫に従順に従うべきであり、夫はキリストが教会を愛してご自分をささげたように妻を愛するべきである、と教えています。ところで、その聖書の教え通りに行なっている夫婦はこの世にいるでしょうか。たぶん、いないでしょう。もし、いるとしても無理をしてストレスをため込んでいるかもしれません。これは、理想の姿であり、そこを目標として努力することはできます。ここで語られていることは結婚生活についてですが、31~32節では「『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる。』この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。」と、夫婦のことを言っているようで、実は、キリストと教会について言っているのです。つまり、理想の夫婦としての妻が夫に従順に従うように、クリスチャンはキリストに従順に従うのです。そこに、祝福を受ける秘訣が隠されているのです。

●2022年3月27日(日)礼拝メッセージ要旨…「光の子どもらしく歩みなさい」

エぺソ人への手紙5:1~14「光の子どもらしく歩みなさい」 という題でポイント3つ上げていきます。

①偶像礼拝者…5節には「あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者──これが偶像礼拝者です、──こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。」とあります。このみことばと非常によく似ている聖書の個所があります。それはコロサイ3:5の「ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。」です。ここで使われている「むさぼり」は英語ではcovetousで日本語の逆翻訳では「貪欲」です。ルカ12章で、イエス様が、畑が豊作で倉を造り変え、安心している金持ちのたとえ話をしています。神は、その金持ちに「愚か者。お前のたましいは今夜お前から取り去られる。そうしたら、お前が用意した物は誰のものになるのか。」と言いました。その話の続きをしたあと、イエス様は「何はともあれ、あなたがたは神の国を求めなさい」と言われています。蓄えた物が人を生かしているのではありません。人は神に生かされているのです。だから、まず、神の国を求めて生きるのです。神の国とは永遠のいのちです。自分の救いを達成し、回りの人々にも神の国の福音を届けるのです。

②光の子どもらしく歩みなさい…8節には「あなたがたは以前は暗闇でした」とあります。エペソ2:1~2では「あなたがたは霊的に死んでいて、悪魔の奴隷だった」という内容のことが語られています。先日、当教会に聖書を無料で贈呈しているG協会のSさんが来られました。彼は、かつて有名メーカーの社員としてバリバリ働き、お金を稼いでいたとのこと、しかし、家庭を顧みることがなく、家族はバラバラになったとのこと。その後、教会に導かれ、今はクリスチャンとなり、ボランティア活動を通して神に仕えています。G協会は、今、戦闘で深刻な状況にあるウクライナやロシアにも多くの支部があり、特にウクライナ国内と難民に合わせて15万5千部の聖書を届けようとしています。私たちは、その奉仕が実を結ぶようにお祈りしましょう。エペソ5:9には「光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです」とあります。光の子どもは光の子どもらしく歩むのです。

③眠っている人よ目を覚ませ…なんとなく気落ちしていたり、ぼんやりしていたり、そういう人の所に神が突然訪れ、その人を次の行動に向かわせるために立ち上がらせる、そういう場面が聖書では所々で見られます。◆ハランにいた75歳のアブラハム(アブラム)に神は現われ、カナンの地に出かけるように言われます。アブラハムの名は祝福となりました。◆ミデヤン人を恐れ、隠れるようにして小麦を打っていたギデオンに神は「勇士よ」と語りかけ、彼を立ち上がらせます。◆野で羊の世話をしていたダビデは突然呼び出され、預言者サムエルから油注ぎを受けます。そして、後にイスラエルの名君としての王となります。◆乙女マリヤは、み使いガブリエルから、聖霊による処女懐胎を告げられます。◆もう一人、パウロは、目覚ましい福音宣教の働きをしたゆえに捕らえられ、船でローマに護送される途中、暴風で難破しそうになったとき、主が彼に現われ、カイザルの前に立つことを告げられます。私たちも、聖書のみことばを信じて立ち上がり従っていくなら、主が共にいて光を照らされる、つまり神の力を受けるのです。

●2022年3月20日(日)礼拝メッセージ要旨…「新しい人を身に着る」 

エぺソ人への手紙4:17~32「新しい人を身に着る」 という題でポイント4つ上げていきます。

①空しい心で歩んではならない…筆者はイエス・キリストを信じたとき、大きな喜びと平安を感じました。それに加えてもう一つの賜物が与えられました。それは虚無感が無くなったことです。クリスチャンは神の目的のために選ばれています。ですから、空しい心で歩んではなりません。第一コリント10:31には「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」とあります。食事をするとき、車の運転をするとき、また、朝、一日を始めるとき、まず、真の神に祈りをささげます。すると、主もそれを喜び祝福してくださるでしょう。それが、また、私たちに充足感となって、明日への力となるでしょう。

②新しい人を着る…3月16日午後11:36に大きな地震がありました。ルカ21:9~11を見ますと、世の終わりに臨んで、戦争、疫病、大地震などが起こることをキリストが語られています。そのことをキリストが語られたときは、今から1990年ほど前のことです。また、ルカの福音書が書かれたのはAD60年頃で、1960年ほど前のことです。聖書は何も書き換えられていません。確かに真実の書です。そして、エペソ4:21には「まさしく真理はイエスにある」とあります。ですから、私たちは、そのイエス様と共に歩むために新しい人を身に着け(エペソ4:24)ましょう。バプテスマを受けてキリストに着く者とされた者はキリストを着た(ガラテヤ3:27参照)のです。そして、新しい人は造り主のかたちに似て(コロサイ3:10参照)いくのです。

③人の徳を養うことばを話す…筆者は、二年前のアメリカ大統領選挙のとき、トランプさんよりもバイデンさんを支持していました。しかし、今、ロシアがウクライナに侵攻する前も、そして、そのあとも、世界一の大国・アメリカのバイデン大統領は、ロシアに対して、挑発的な言葉を発し続けていました。結果的に現時点でも戦争が止まず、双方の犠牲者は増えています。優秀な政治家は戦争をしないし、させないように最大限努力するでしょう。私たちは、無益な争いにならないように平和的な言葉を発し、知恵深く行動しなければなりません。優しい言葉、あたたかい言葉を用い、必要なときには、人の徳を養うのに役立つ言葉を発して、聞く人に恵みを与えるようにしましょう。  

④聖霊による証印…私たちがイエス・キリストを信じているならば、それは聖霊によるのであり、聖霊の証印を押されているのです。ですから、その人は聖なる神の側に立つ者とされていて、やがて永遠の天の御国に凱旋するときがくるでしょう。神の人なら、聖霊を悲しませることはせず、親切で、優しい人となり、人を赦す心を持ち、それを生活の中で実践させていただきましょう。

●2022年3月13日(日)礼拝メッセージ要旨…「御霊の一致を保ちなさい」

エぺソ人への手紙4:1~16から、「御霊の一致を保ちなさい」 という題でポイント4つ上げていきます。

①御霊の一致を熱心に保ちなさい…筆者が住んでいる住宅の西側に広がっている田んぼに、毎年のように白鳥の群れが来ています。時々、近所の方が白鳥にエサをあげているのを見ます。先日、私の妻もエサをあげたとのことです。そのとき、エサをもらえなかった白鳥が、もらった白鳥に対して怒ってクチバシで軽くつついたとのことでした。白鳥の世界も人間の世界と似ていると思いました。コロサイ3:13には「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」とあります。もちろん、問題があったら建設的な意見を出し合って改善のために努力すべきでしょう。イエス・キリストを信じる信仰によって集められたキリストのからだなる教会は、一つであり、既に一致が与えられています。ポイントは、既に与えられている一致を保つことです。謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて、御霊の一致を熱心に保ちましょう。

②キリストの賜物…7~8節には、少々不思議なことが書いてあります。それは、キリストが十字架で死なれ、復活し天に昇られたとき、「多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた」と言っているのです。その結果、今、地上に存在するキリストのからだなる教会、そこに集う人々に賜物が与えられ、使徒、預言者、伝道者、牧師、教師などが立てられているのです。先日の3月11日(金)午後7時より当教会を会場にして、リバイバルミッション主催にて「励ましの歌とみことばの夕べ」が開催されました。関西と中部地方から、六名のチームで来られました。こちらの地元からは、中野小学校元校長の伊藤兄が3.11大震災当時の証しをされました。司会、賛美、証し、メッセージ、そして音響と、この度は、YouTube配信の奉仕がありました。それぞれに神が与えて下さっている賜物が用いられ、キリストのからだなる教会の縮図を見るようでした。

③キリストのからだを建て上げる…何のために教会に賜物が与えられているのでしょうか。それは、キリストのからだなる教会が建て上げられるためです。キリストを信じて救われる人が起こされ、次に、救われた人が成長し、さらに、霊的に大人になって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するためです。ヘブル5:13~14には「まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。」とあります。霊的なことを見分け、教えの風に吹き回されないようにしなければなりません。そのことは、本当に教会を建て上げるために役立っているのか、それとも、人受けするだけでキリストの救いを遠ざけているものもあります。そのあたりを見分ける目を持った大人のクリスチャンとして成長させていただきましょう。

④愛のうちに建てられる…教会を建て上げるためにはイエス・キリストの福音宣教が不可欠です。しかし、福音宣教の仕方は大上段に構えるばかりが能ではありません。この世のフェイクニュースや偽りの教えに翻弄されている人々に福音が伝わっていくためには、愛をもって真理を語っていかねばなりません。愛は寛容であり、愛は親切です。キリストのからだなる教会は、愛によって結び合わされ、成長し、愛のうちに建てられるのです。