出エジプト記8:1~32からです。「かえる、ぶよ、あぶ」という題でポイント3つ上げていきます。
1.「神の指(19節)」…前章の7章では、ナイルの水が血に変わるというしるしが行われました。それが第一のしるしと見立てると、この章では第二、第三、第四のしるしが行われます。まず第二の「かえる」のしるしです。主に命じられモーセとアロンがパロの所に行ってイスラエル人を出て行かせなければ「かえる」をもってエジプト全土を打つと言います。アロンがエジプトの水の上に手を差し伸ばすと、かえるがエジプト全土を覆います。このとき、エジプトの呪法師たちも秘術を使って同じようにしますが、パロはモーセとアロンを呼び寄せて「かえるを除くように主に祈れ。そうすれば民を行かせる。」と言います。モーセが「いつ祈ったらよいか」と言うと、パロは「明日」と言います。モーセが叫ぶと、かえるは死に絶えます。しかし、パロは息つく暇が出来て強情になります。次は第三のしるしです。今度は「ぶよ」がエジプト全土で人や獣にまとわりつきます。そのときエジプトの呪法師たちも秘術で同じようにしようとするのですが出来ず、彼らは「これは神の指です」と言います。詩篇8:3~4には「あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。」とあります。「神の指」とは一つの表現ですが、この世界は、正に創造主なる神の作品です。詩篇14:1には「愚か者は心の中で、『神はいない』と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行っている。善を行う者はいない。」とあります。愚か者になりませんように。
2.「区別して(23節)」…第四のしるしは「あぶ」です。このとき主はエジプトの家々だけあぶの群れが満ち、イスラエルの民がいるゴシェンの地は区別して害は及びません。今日、「~天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。(マタイ5:45b)」とありますように、天の主は全ての人を愛し、救いに与ることを望んでおられますが、ただ、イエス・キリストを信じ救いに与った聖徒に対しては特別に扱ってくださいます。詩篇4:3には「知れ。【主】は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、【主】は聞いてくださる。」とあります。またエレミヤ33:2~3には「地を造られた【主】、それを形造って確立させた【主】、その名は【主】である方がこう仰せられる。わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」とあります。今の時代は終末の時であるとも言われています。イエス・キリストの再臨の時が近づいています。太陽が暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象が揺り動かされるとき、主が再臨され、多くの人は悲しみながらその時を迎えます。しかし、一方で、四方から選びの民が集められるのです。正に決定的な区別が行われるのです。
3.「パロの妥協案(25節))」…あぶに悩まされたパロはモーセとアロンを呼び寄せて、「さあ、(エジプト)国内でお前たちの神にいけにえをささげよ」と妥協案を提示します。それに対し、モーセはきっぱりと拒否します。あくまでもエジプトの地を出て三日の道のりを旅して、そこでいけにえをささげるのです。今日、クリスチャンは回りの人々と和睦して平和に暮らすべきです。但し、偶像礼拝など、主が忌み嫌われることに関しては妥協してはなりません。ダニエル書3章には、ネブカデネザル王が27メートルほどの高さの金の像を建て、人々に拝ませようとします。しかし、ユダヤ人であるシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは全能の主への信仰を証しし、像を拝みません。そのため三人は燃える火の炉に投げ込まれます。しかし、全能の主は彼らを救い、炉の外に出されると火の匂いもしませんでした。ネブカデネザル王は彼ら三人が信じる真の神、主を称え、三人をバビロン州で栄えさせます。