黙示録17:1~18からです。17~18章では、大淫婦、大バビロンの現状とさばきについて記されています。今回もポイント3つ上げていきます。
1.大淫婦について…この大淫婦は、ある特定の一人の婦人を指しているのではなく、この世を支配している何か影のような存在、「罪」と言ってもよいかもしれません。この大淫婦は世の富の象徴である金と宝石で身を飾り、自分の不品行の汚れでいっぱいになった金の杯を手に持っていました。つまり、富と欲望です。それは多くの人々、否、全ての人が潜在的に持っている願望とも言えるでしょう。この大淫婦のことを別名で大バビロンとも言っています。バビロン帝国はBC600年頃権勢を誇っていました。この黙示録が記されたのはローマ帝国の時代です。ですから、直接的な表現を避け、「大バビロン」と言い換えたのでしょう。それは、現代にまでも続き、現在の世界の主要な大都市も大バビロンと言えます。そこには富と欲望が集中しているからです。もちろん、富やお金は無いよりあったほうが良いでしょうが、私たちの救い主イエス・キリストは「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものだから。(ルカ6:20)」と言われました。大事なことは永遠をどこで過ごすのか、ということです。富に目がくらんでその道を外し、永遠の滅びに向かうようなことがありませんように。
2.七つの頭と十本の角を持つ獣…第一のポイントで取り上げた大淫婦は、七つの頭と十本の角を持つ獣に乗っていたということです。さて、七つの頭とは七人の王たち、そして10本の角も10人の王たちということです。つまり、この世の支配者たちです。エペソ2:1~2には「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」とあります。空中の権威を持つ支配者である悪魔が、今、一時的に世を支配しています。それを許しておられるのは、この世界を創造し、全てのものを統べ治めておられる全知全能の真の神です。マタイ10:28には「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」とあります。私たち人間が真に恐れなくてはならない方は、偶像の神々とか、この世の権威とか、その背後で操っている悪魔ではなく、私たちの魂をゲヘナに投げ込む権威を持つ方です。詩篇33:6~8には「【主】のことばによって、天は造られた。天の万象もすべて、御口のいぶきによって。主は海の水をせきのように集め、深い水を倉に収められる。全地よ。【主】を恐れよ。世界に住む者よ。みな、主の前におののけ。」とあります。恐れるべき方はただお一方、この天地を創造され、救い主であり、神のひとり子イエス・キリストをこの世に送ってくださった天の父なる神様だけです。
3.小羊は彼らに打ち勝つ…一般的には「キリスト教」と言われていますが、イエス・キリストによる福音宣教の歴史は迫害と共にあり、それは今も続いており、今後もありうるでしょう。ペンテコステ(五旬節)の時に使徒たち120人が祈っている所に聖霊が降り、初代教会が誕生しました。それ以来、福音宣教とともに、教会に対する迫害が常に起こり、まず、ステパノが殉教し、ヨハネの兄弟ヤコブが殉教しました。次にペテロが捕らえられますが、主の使いが遣わされ、ペテロは奇跡によって救出されます。教会は戦いもありますが、その一方で主にある勝利があるのです。14節には「この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。」とあります。クリスチャンには、勝利者である小羊、すなわち救い主イエス・キリストがいつも共にいてくださいます。クリスチャンは召された者、選ばれた者(ヨハネ15:16)です。ですから、忠実に主に仕えてまいりましょう。主は、私たちが実を結ぶため、そしてイエス様の名によって祈り求めて、それが叶えられるために召され選ばれたのです。