●2024年1月21日(日)礼拝メッセージ要旨 

ヨハネ第一の手紙2:1~17から「神のみこころを行なう」という題でポイント4つ上げていきます。

1.罪を犯さないようになるため…ヨハネは1節で「私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。」と言っています。私たちが教会に集まり、聖書のみことばを聞くとき、何が善で何が悪かということを知るようになります。それまで聞いていた善悪の基準と多少は重なることもありますが、決定的な違いは「偶像礼拝」ということです。教会へ来る前は、偶像礼拝は良いことだと思っていた人もあるでしょうが「罪である」ということを認識します。しかも天地を創造した真の神に最も喜ばれない行為です。偶像礼拝は真の神を憎むことであり、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及びます。しかし、主を愛し、主の命令を守る者は恵みを千代にまで施されるのです。また、新約聖書においては、コロサイ3:5で「ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。」とあるように、心の中の「むさぼり」も偶像礼拝であると言っています。私たちは、この偶像礼拝という罪から解放され、真の神と共に生きる道、永遠の祝福の道を歩んでまいりましょう。

2.「光の中にとどまる」…先週の礼拝では、1章5節で「神は光であって暗いところが少しもありません。」とありました。そして、関連聖句としてイザヤ60:1~3から「暗やみが世を覆っているような昨今、霊的な目を覚まし、恐れることなく立ち向かって行こう。」と語りました。そして、そこから、今年の教会の標語として「起きよ。光を放て。」にしようと思っています。この第二ポイントでは「光の中にとどまる」です。「とどまる」というのは、守られること、つまり私たちの心の状態が守られるということです。箴言4:23~24には「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。偽りを言う口をあなたから取り除き、曲がったことを言うくちびるをあなたから切り離せ。です。」とあります。人の心の中と口から出る言葉とは一体化しています。ですから、私たちは自分が語る言葉が真実で、前向き肯定的で、明るく優しく、愛のあるものでありたいと思います。

3.子どもたちよ…12~14節では「子どもたちよ。父たちよ。若者たちよ。」と様々な年代層に対して語っていますが、要するにイエス・キリストを信じたクリスチャンは「真の神を知り、罪が赦され、聖霊が共におられるので悪魔に勝利した」と言っています。この内容とほぼ似ている表現が使徒26:18です。パウロ(サウロ)は、エルサレムからダマスコ途上でキリスト(聖霊)に出会い、「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」と言われました。それは正に、今日の私たちも受け取る大きな恵みです。私たちは、この霊的な祝福に目を留めることによって、却って、この世においても祝福を受ける(マタイ6:33参照)のです。

4.世と世の欲は滅び去ります…私たちは、生活する上で様々な物品を所有していることでしょう。それはそれで与えられているものに感謝しましょう。でも、あれが欲しい、これが欲しいと必要以上に物欲を持つべきではないでしょう。17節には「世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行う者は、いつまでもながらえます。」とあります。世にある物にではなく、「神のみこころを行なう」ことに心を留めましょう。天の神様が私たちを祝福しようと待っておられるのではないでしょうか。私たちは神を求め、神のみこころ求めましょう。そして、神に従順に従い、神のみこころを行なうならば、主はその人のことを喜び、その人を通して主の栄光が現われるのではないでしょうか。

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