2013.3.24礼拝メッセージ要旨(マタイ15:1~20)

 手を洗わないまま食事をするイエス様の弟子たちに対して、パリサイ人、律法学者たちは「先祖たちの言い伝えを犯している」と非難します。それに対してイエス様は、そう言う彼らこそ、聖書の教えを空文にしていると言われます。そして、「口に入る物は人を汚しません。口から出るもの、これが人を汚します。」と言われます。実際的に、今日、私たちも手を洗わないで食事をすることがよくありますが、確かに手を洗わないまま食事することよりも、悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしり、これらのほうが遥かに人を汚してしまいます。さて、ここから、ポイントを三つあげて学びましょう。

 ①父母を敬え…特にここでは、出エジプト21:17の「父母をののしる者は死刑に処せられる。」というみことばが引用されていますが、一見厳しすぎるようにも思えますが、子にとって父母とは天の神の似姿であり、目に見える父母を敬うことは、天の神を恐れることでもあり、その人の生涯が祝福される原点の教えでもあるのです。
 ②天の父がお植えになった木…少なくとも教会に集まっている私たちは、天の父がお植えになった木である可能性は大です。しかし、霊的、信仰的意味で、下に根を張り、芽を出し、成長し、やがて豊かな実を結ぶためには、その人がイエス様にしっかりと連なっていなければなりません。イザヤ60:21に「あなたの民は正しくなり~」とありますが、私たちは聖書のみことばをよく学び、よく蓄え、成長していくべきです。
 ③心から出るもの…人の内側から出てくる汚れを聖めるためには、天の神様ご自身が定められた方法以外にはありません。ヘブル9:22には「血を注ぎだすことがなければ罪の赦しはないのです。」とあるように、罪の無い神のみ子イエス様が十字架上で流してくださった御血によって赦されるのです。私たちがすべきことは、自分が罪人であることを認めてイエス様を仰ぎ見続けることです。

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