●10月30日の祈祷会メッセージ要旨(詩篇140篇)

 この詩篇は、ダビデの賛歌となっています。ダビデを苦しめる人々に対して、ダビデは、彼らから自分が守られるようにと祈っています。ダビデにとって「よこしまな人、暴虐な者、悪者」とは誰でしょう。ペリシテなどの当時のイスラエルを取り巻いていた敵対する国々のことかもしれませんが、ダビデをもっと苦しめたのは、ダビデの義父でもあるサウル王、そして、実の息子でもあるアブシャロムではないでしょうか。サウルはダビデの命を狙い続けました。アブシャロムはダビデを王宮から追い出しました。結果的に、サウルもアブシャロムも自滅してしまいますが、何が彼らをそうさせたのでしょう。サウルは、部下でもあるダビデが戦いに出て大勝利したとき、イスラエルの娘たちが「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」と歌ったのを聞いて、ひどく怒り、それ以来、ダビデを妬み、憎むようになりました。アブシャロムは自分の妹タマルがアムノンによって辱めを受けたとき、ダビデの対応に不満を持ち、その気持ちが日増しに大きくなっていったのでしょう。
   もし、サウルが、寛大な心で、優秀なダビデを自分の部下として味方に付けておけば、サウルの王権は安泰だったことでしょう。アブシャロムも自分の怒りを治め、静かにしていれば、ダビデ王家の側近として、平穏に過ごすことが出来たでしょう。
   さて、ダビデは、10節で「燃える炭火が彼らの上にふりかかりますように。」と言っています。旧約聖書的な表現と言えますが、新約聖書のローマ12:20では「もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。」とあり、敵を赦すこと、愛すことを教えています。
   私たちの生涯においても、サウルやアブシャロムのように人を憎み続けたり、恨み続けるならば、やがて病的になり、結局、自分自身に災いをもたらすでしょう。寛容であり、柔和であり、謙遜に主を恐れつつ、人々をどこまでも愛していく、そのような歩みが求められているのではないでしょうか。
   この詩篇の最後のあたりの12節でダビデは「私は知っています。主は悩む者の訴えを支持し、貧しい者に、さばきを行なわれることを。」と、全能の主に信頼する信仰的な告白をしています。

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