●11月17日の礼拝メッセージ要旨(マタイ25:31~46)

 25章の三つ目のたとえ話、「羊と山羊」という題で、3つポイントをあげて学びましょう。
  ①羊と山羊…羊と山羊は生物学上の分類では共に牛に属するのだそうです。羊と山羊はよく似ています。鳴き声もよく似ていますが、交配はせず、その性質はかなり異なるようです。羊は群れて、素直で、単独行動ができず、迷いやすいのだそうです。一方、山羊は、単独行動をし、人に対して不従順で高い所を好み、羊が外敵に対して逃げるのに比べ、山羊は向かう姿勢を見せるのだそうです。ずいぶん対照的ですが、ちょうど、その、羊と山羊の性質が、私たちの信仰姿勢と重なる部分があるので、イエス様が用いたのでしょう。イザヤ53:6には、「私たち人間はみな、羊のようにさまよっている」とあります。この世の知者であれ、支配者であれ、もし、救い主イエス様に出会わなければ、心の中はさまよっているのです。また、イザヤ53:7には、羊のもう一つの性質である従順を表現しています。イエス様が十字架にかけられるとき、羊のように黙って引かれていったのです。つまり、私たちは、自分が羊のようにさまよっている者であることを認め、同じく羊のように従順にイエス様を信じて従ってまいりましょう。
  ②最も小さい者たちに…東日本大震災では、私たちは被災者としての立場から様々な支援を受けました。また、支援の中継基地のような役割も担い、それは今日も続けられています。しかし、私たちの場合、支援と言っても、限られた小さなことしかできません。それでも、イエス様に五つのパンと二匹の魚をささげた少年のように、自分に出来る精一杯のことをすればよいのです。そういった慈善活動や施しも素晴らしいことですが、一番見落としてならないことは、最も近しい自分の家族や回りの人々に愛(思いやり)を注ぐということです。
  ③永遠の刑罰と永遠のいのち…聖書には、永遠のいのちだけでなく、永遠の刑罰についても明確に言及(マタイ25:46、第二テサロニケ1:8など)しています。聖書を真実な書と位置付ける者にとっては、当然、その永遠の刑罰を免れ、永遠のいのちに与り、さらに、自分だけの救いに満足することなく、多くの者を義とする(ダニエル12:2~3)務めに向かっていかなくてはなりません。

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