●12月1日の礼拝メッセージ要旨(マタイ26:1~16)


   イエス様一行はエルサレムからベタニヤに行き、ツァラアトに冒された人シモンの家でのことです。一人の女性がイエス様の頭に高価な香油を注ぎました。四つの福音書から総合的に判断すると、この女性はマルタの妹マリヤで、この家の主人シモンとは、マルタとマリヤの父親だったのかもしれません。
さて、このとき、弟子たちは憤慨して「何のために、こんな無駄なことをするのか。」と言っています。イエス様が5千人にパンを分け与えたとき、「余ったパン切れを、一つも無駄に捨てないように集めなさい。(ヨハネ6:12)」と言われていますから、そもそも、倹約すること、浪費しないことは聖書の教えでもあります。しかし、ここでマリヤは弟子たちが無駄に思えることをしたのです。そのときイエス様は、「この女はわたしの埋葬の用意をした。世界中どこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のしたことも語られる。」と言われます。実際に、今日、世界中の教会などで、マリヤのしたことが語られています。
このマリヤは、本当にすごい人だと思いますが、なぜ、彼女にそれができたのでしょう。実は、イエス様はマタイの福音書ではこの章26:2もそうですが、16:21、17:23、20:19、それぞれで、ご自分が十字架で殺されるということを語っています。ルカ10:39では「彼女にマリヤという妹がいたが、主の足元にすわって、みことばに聞き入っていた。」とあります。ですから、マリヤは、イエス様が語られたことばを素直に受け入れ、その語られたみことばに従って行動したのです。
私たちの毎日の生活は、良識的でなければなりませんし、倹約も必要です。でも、聖書のみことばに従う生活は、永遠に照準を合わせています。それは、時に、無駄と思えたり、非効率に思えることもあるでしょう。しかし、それは、いのちの道であり、永遠の祝福の道です。

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