●1月5日の礼拝メッセージ要旨(マタイ26:47~56)

 ゲッセマネの祈りのあと、イエス様が、祭司長から差し向けられた群衆に捕らえられる場面からポイントを三つ上げて学びましょう。
 ①ユダの口づけの合図…夜中に捕らえに行ったのは、昼間だとイエス様を支持する群衆の反対に遭遇するという恐れを回避するためだったのでしょう。暗がりで、ユダならイエス様がどの人なのか見分けがつくということで、口づけで合図としたのでしょう。イエス様の側から見れば、恩をアダで返されるような情けない気持ちになったことでしょう。また、ユダからすれば、3年間共に過ごした師を裏切るのですから、複雑な苦しい気持ちは避けられなかったでしょう。銀貨30枚のために師を裏切ったユダですが、第一テモテ6:10~11には、金銭を愛することが、あらゆる悪の根であるので、神の人は、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めるべきであるとあります。
 ②剣を取る者はみな剣で滅びます。…国際関係における軍隊や武器保有の問題、教育現場における体罰の問題など、机上での理想論では割り切れない、現場に立つ人たちの現実という難しさもあります。それはさておき、ここでイエス様は、12軍団よりも多い御使いを配下に置くことができるのに、あくまでも十字架の道を進みます。旧約聖書のヨシュア記5章で、ヨシュアの前に立った主の軍の将は、ヨシュアに対し「あなたの足のはきものを脱げ、あなたの立っている場所は聖なる所である。」と言いました。最強の天の軍隊を味方に付けるには、私たちがイエス様に服従することです。
 ③聖書の実現…聖書が実現するためにイエス様は暴徒たちに捕らえられました。聖書に記されたみことばは必ず成ります。しかし、神のみこころは必ず成るからと言って、私たちが何もしないでよいということはありません。やはり、人間の側の努力も必要です。また、実現していく聖書のみことばを暗唱して復唱することも有益です。

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