●1月29日祈祷会メッセージ要旨(箴言1章)

1節には、「ダビデの子ソロモンの箴言」とあります。30章、31章の冒頭にはソロモン以外の人物が書いたことが記されていますが、少なくともソロモンが箴言の編纂に深く関わったことは間違いないでしょう。25章1節には、ヒゼキヤ王の人々が書き写した、とありますが、ヒゼキヤ王は、王位就任当時、宗教改革に近いことをしているので、古くなった箴言を多くの人が読めるように整えたのでしょう。
さて、1章です。1~7節は、箴言全体の序章と言えます。この箴言が書かれた目的、それは、わきまえのない者に分別を与え、若い者に知識と思慮を得させるためでした。
7~19節では、主を恐れることは知識の始めであり、父母に従い、罪人らと行動を共にするな、と言っています。
20~33節では、わきまえのない者たちに、いつまでわきまえのないことを好むのか、と叱責しています。そして、最後に、わたしに聞き従う者は安全に住まい、わざわいを恐れることもなく、安らかであると結んでいます。
もう一度、振り返ってみますと、7節では、「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。」とあります。ここで、愚か者とは、知能指数が低いという意味ではなく、主を知ろうとしない人のことです。伝道者の書4:13には「貧しくても知恵のある若者は、もう忠言を受けつけない年とった愚かな王にまさる。」とあります。人の忠言に対して頑な人は、結局、聖書のみことばに対しても同じようにするでしょう。ローマ12:2には「…神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」とあります。愛ある人の忠言、あるいは聖書のみことばに対して、いかに従順であるか、それが、後の日になって多くの実を結ぶか否かのカギとなるでしょう。

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