●3月23日礼拝メッセージ要旨(マルコ1:1~11)

「神の子イエス・キリストの福音のはじめ。」で始まるマルコの福音書です。歴史上、神のひとり子がこの地上を歩まれるということは、大変なビッグニュースであり、これ以上の大きな出来事はないはずです。しかし、せっかく、神のひとり子がこの世に来ても、その方に出会う人々の心が整えられていないならば、神の御子として受け入れることができないでしょう。バプテスマのヨハネは、そのために登場し、人々に悔い改めのバプテスマを授けていました。今日、私たちも、信仰と霊性が整えられていないと、神の訪れを見逃してしまうこともあるでしょう。
最近、某団体のフェイスブックに当教会の移転用地の記事がありました。当教会のこれまで受けてきた各種のサポートと会堂建設無償提供プランについて、「誰かが計画したわけでもなく、人手によってバトンを渡したわけでもありませんでした。ただただ、神様の深い計画のゆえに、神様によってバトンが各団体に渡されました。」とありました。また、土地についての説明もあり、「面積は248坪で、山付き、その山は勝手に祈りの山と呼んでいます。」とありました。そういった信仰の目で物事を見ることができることは幸いです。しかも、山を見て「祈りの山」と表現していたので、その積極的な信仰姿勢に感心しました。マタイ24:35にあるように、この世界がいつまでも続くわけではありません。私たちは天に国籍を持つ天国人として、この地上に一時的に滞在しているに過ぎないのですから、いつも、天国の視点で物事を見ていきましょう。
イエス様がヨハネからバプテスマを受けられたとき、聖霊が鳩のようにくだりました。その同じ聖霊が、今日、イエス様を信じる私たち一人一人の心の中に住んでくださっています。聖霊様のご性質は、謙遜と柔和でもあります。また、イエス様の生涯がそうであったように、真実に生きることです。時には空気を読むことも必要ですが、たとい自分一人だけでも、正しいことは正しいと主張できる者でありたいと思います。全宇宙を支配しておられる主。そのひとり子イエス様が私たちと共にいてくださいます。イエス様の御名によって与えられる聖霊様の中に安らいながら、日々、励んでまいりましょう。

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