会堂管理者ヤイロの娘が生き返った記事と長血を患った女がいやされた記事から、ポイントを三つあげて学びましょう。
①生み出す信仰…ヤイロは、イエス様に来ていただき、娘の上に手を置いてもらえるなら、きっと直るという信仰を持っていました。一方、長血を患った女はイエス様の着物にでも触ればきっと直ると信じていました。彼女は、12年間医者にかかったものの、持ち物を失い、かえって悪くなったのですが、当時の習慣から(レビ記15:25~26)、彼女は、人前に堂々と出るわけにはいかず、群衆に紛れて、そっとイエス様に近づいたのです。イエス様の着物に触った女の病は立ちどころに直りました。女はたぶん、こっそりとその場を去りたかったのでしょうが、イエス様は彼女をあえて人々の前に出して、証しさせます。それは、彼女の病がいやされ、きよめられたことを公にし、彼女が今後、人前で堂々と生きていけるために、そうしたのでしょう。ヤイロの場合もそうですが、この女も「イエス様がなんとかしてくれる」という信仰から始まっているのです。問題はチャンスの時でもあります。新たなものが生み出される機会でもあります。
②信じ続ける…最初にイエス様にお願いしたのはヤイロなのですが、長血を患う女性が道の途中で割り込んできて、ヤイロとしてはイライラしたかもしれません。そこに、家からの使いが来て「お嬢さんはなくなりました」と言うのですから尚更です。しかし、そこでイエス様は「「恐れないで、ただ信じていなさい。」と言われます。私たちも、信じ続けること、祈り続けることが大事です。主を待ち望む者は新しく力を受けるのです(イザヤ40:31)。
③信仰と不信仰…ヤイロの家に着くと、そこには人々が泣いたり取乱したりしています。イエス様が「子どもは死んだのではない。」と言われると、人々は嘲笑いました。そこでイエス様は、ペテロ、ヤコブ、ヨハネと子どもの両親だけを伴って、娘のところへ行き、「タリタ・クミ」と言われて娘を生き返らせます。この世は、人間の最大の問題である「死」に対して、何の解決の術を持ってないにもかかわらず、イエス様の救いを嘲笑うのです。しかし、私たちは信じましょう。自分自身の救いはもちろん、日本の霊的復興も信じて祈っていきましょう。