●4月19日礼拝メッセージ要旨(マルコ14:32~52)  

 イエス・キリストが弟子とともにゲッセマネの園に行かれ、そこで大祭司たちから差し向けられた群集に捕えられた記事から、ポイントを三つ上げて学びましょう。
  ①みこころのままを…イエス様は創造主である神のひとり子であり、罪を犯すことはありませんでしたが、私たちと同じように人としての肉体をお持ちでした。ですから、いよいよ、十字架の苦しみを前にして、深く恐れもだえ始められ、悲しみのあまり死ぬほどであると言われました。そして「この杯を取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、みこころのままをなさってください。」と祈られます。私たちの人生においても、なかなか自分の思うとおりに事が運ばないということが少なくありません。しかし、あとで振り返ってみたとき、却って、「あのとき自分の願いどおりでなくてよかった」と思えるときも多々あるものです。祈りの時、素直に自分の願いを求めればよいでしょう。でも、最終的にはみこころを求めて祈ることが大切です。
  ②祈り続けなさい…そもそも祈りとは何でしょうか。弱い人のすることでしょうか。その通り、祈りは弱い人のすることです。でも、この世に。祈らなくても全く問題ないというような強い人がいるでしょうか。いません。皆、弱さを持ち、本来、祈りを必要とする存在なのです。箴言18:12には「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」とあります。人の前での謙遜も良いことですが、創造主の前での謙遜はもっと大切です。私たちは、私たちの霊魂を天国へも地獄へも思いのままに行かせることのできる方を恐れ、この方に向かってイエス様の名によって祈り続けること、すなわち、主との深い交わりを保ち、その中で主の導きを確信して進んで行くことです。
  ③立ちなさい。さあ、行くのです。…群集がやって来たとき、イエス様は、祈り備えておられました。しかし、弟子たちは眠ってばかりで、心の準備はまったく出来ていなかったでしょう。私たちの教会の新会堂は、着工が予定より遅くなる見通しで、長い期間、この場所を賃借できないので、6月で見切りをつけて7月からは市民センターなどでの礼拝となります。私たちは、主のみ計らいを全て見極めることはできません。何か主の御計画があり、私たちにもっと良いことをしてくださることでしょう。時が迫り、一つ一つを決断して前に進まなければなりません。ゲッセマネでの弟子たちは、「立ちなさい。さあ、ここから行くのです。」と、イエス様に言われました。結果として彼らはイエス様を見捨てて逃げてしまったのですが、今日、もし、私たちが、主を信頼し、どこまでもイエス様と共に行くのなら、主はそのことに報いてくださり、勝利と喜び、永遠の祝福が待っていることでしょう。

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