●2月21日礼拝メッセージ要旨(ルカ9:18~36)

  ペテロの信仰告白、イエス様ご自身の十字架と復活、そして十字架を負うこと、また山に上られてお姿が変わった記事からポイントを三つあげて学びましょう。
  ①わたしをだれだと言いますか…イエス様が「わたしをだれだと呼びますか。」と質問したとき、ペテロは「神のキリストです。」と答えました。キリストとは、称号であり、ヘブル語でメシヤをギリシャ語訳したことばです。「油注がれた者」という意味があって、事実上の救い主です。ペテロは、イエス様にイスラエルを復興させる政治的メシヤとしての期待を持っていたのでしょうが、イエス様は、そうではないということを悟らせるためにご自分が十字架にかかり復活することを話されます。今日、私たちはイエス様をだれだと呼びますか。トマスは、最初イエス様が復活したことを疑っていましたが、主にお会いすると、「私の主。私の神。」と言いました。私たちの人生の主人は誰でしょうか。自分自身でしょうか。それとも、物言わない偶像でしょうか。私たちは、私たちを形造り、生かしておられ、救いのために十字架で犠牲となられ、復活したイエス様を主として、従ってまいりましょう。
  ②日々、自分の十字架を負う…私たちの人生の目標は何でしょうか。世界の征服者でしょうか。それとも世界一の億万長者でしょうか。たとい、そのような者になったとしても「人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い損じたら、何の得がありましょう。」とイエス様が言われたとおりです。主は、私たちが空しい人生を送ることがないよう、真に意義ある人生を送ることができるように「日々、自分の十字架を負いなさい。」と言われたのです。
  ③彼の言うことを聞きなさい。…ペテロとヨハネとヤコブを連れて山に上られたイエス様は、祈っておられると、御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝きました。これは、本来のイエス様のお姿に戻ったと言えるでしょう。そして、モーセとエリヤが現われました。ペテロは、そのとき何を言ってよいのか分からず、三つの幕屋を作りましょうと言ったのですが、雲の中から「これはわたしの愛する子、私の選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい。」という声がしました。私たちは、それぞれ、この人生において何をすればよいのでしょうか。イエス様が「しなさい」と言われることを忠実にすればよいのです。また、キリストのからだなる教会単位としても同じです。立派な教会堂が完成しました。それは、教会としての使命を果たすために建てられました。もちろん、私たちは、主にあって喜び楽しみながら、イエス様の御声を聞いて従ってまいりましょう。

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