●2016年4月24日礼拝メッセージ要旨(ルカ10:17~24)

  キリストが、70人の弟子たちを派遣したあと、彼らは、その働きが成功し、喜んで帰ってきました。その記事からポイントを三つあげて学びましょう。
  ①喜びの源…私たち人間は、日々の生活の中で事がうまく行くと自然に喜び、また、失敗したり、思うように事が運ばないと心が暗くなるものです。つまり、外側で起こる現象により、喜びが湧き上がったり消えたりするものです。もう一つの喜びがあります。その喜びは、何があっても消えない喜びです。そんな喜びはどこにあるのでしょう。草は枯れ、花は散ります。しかし、聖書のことばは永遠に変わることがありません(第一ペテロ1:24~25より)。変わらない永遠の喜びは、聖書のことばの中にあります。神の御子イエス様が十字架によって救いを完成され、イエス様を信じる信仰による消えない喜びが与えられるのです。私たちは、その永遠の喜びを是非、自分のものとしましょう。
  ②何を喜ぶべきか…70人が喜んで帰ってくると、イエス様が「ただ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」と言われました。天においては、いのちの書というものがあります。この、いのちの書に名が記されているか否かでは非常に大きな違いがあります。いのちの書に、その名が書き記されている人は、神の子としての特権が与えられ、この地上においては特別扱い(詩篇4:3)を受け、日々の様々な祈りをかなえていただけます。また、天上においてはイエス様を兄貴分として、永遠の富を共同相続するのです。(ローマ8:17)それが具体的にはどういうことなのか想像できません。でも、想像できなくてよいのです。想像をはるかに超えた事が待っているのです。それは、そのときはっきりと知ることになるのです(第一コリント13:12)。
  ③喜びは誰に与えられるか…イエス・キリストの父なる神を知るということは、海を見たり、山を見たりして、それを認識することとは異なります。「賢い者や知恵ある者には隠して、幼子たちに現わした」とあります。ここで言う幼子とは、自分を低くして素直に神のことばを受け入れる人のことです。箴言18:12には「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」とあります。人の前に謙遜であることは良いことですが、それ以上に創造主である真の神の前に謙遜であることが大事です。神の前に謙遜であるとは、聖書のみことばに対して従順であるということです。神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる(ヤコブ4:6)のです。

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