●5月22日礼拝メッセージ(ルカ11:27~36)

   ルカ11:27~36から、ポイントを三つ上げて学びましょう。
   ①幸いな人とは?…群集の中から一人の女性が声を張りあげてキリストに対し「あなたを産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。」と言うと、キリストは「いや、幸いなのは、神のことばを聞いて、それを守る人たちです。」と答えられました。確かにキリストの母となったマリヤは特別に選ばれた人には違いありませんが、私たちと同じようにアダムとエバの罪を受け継いだ罪人です。罪人である限り、神のことばに聞き従わなければ永遠の滅びの刑罰が待っているだけです。やがて、神の審判の前に立ったとき、家柄、地位、名誉、財産等々、そういったもの自体は、何の役にも立ちません。最も幸いなことは、神のことばを聞いて、それを守ることです。
   ②ヨナのしるし…ヨナのしるしとは何でしょう。ヨナは神から、ニネベに行って宣教するように命じられましたが、ニネベに行かないでタルシシュ行きの船に乗り込みました。当時ニネベを首都とするアッシリヤはイスラエルの敵国であり、イスラエルに脅威を与えていました。ヨナがニネベに行きたがらないのも理解はできます。しかし、どんな理由があれ、聖なる神の命令には聞き従わねばなりません。神は、ヨナの行く道を遮り、暴風を起こしました。結局、ヨナは海に投げ込まれます。しかし、神は大きな魚にヨナを飲み込ませて、陸地へ吐き出させます。ヨナは魚の腹の中で三日三晩苦しみます。その数百年後に、イエス・キリストが十字架で死なれ、葬られて、死後、三日目に復活します。つまり、ヨナのしるしとは、キリストの十字架と復活です。ヨナがニネベで叫ぶと、ニネベの人々は悔い改めました。ソロモンの時代に、南の女王はソロモンから神の知恵を聞くために地の果てからやってきました。「しるしを見たら信じてやる」という態度ではなく、キリストの十字架を中心とする神の言葉を謙遜に聞くという姿勢が祝福を受けるのです。
   ③部屋の明かり…部屋の中で、灯した明りをわざわざ隅っこに隠すように置く人はいません。部屋全体が明るくなるように目立つところに置きます。キリストは「わたしは世の光です。(ヨハネ8:12)」と言われました。世の光であるキリストがそこにおられるのに、それを避けることは賢明ではありません。キリストのことばが綴られている聖書を部屋の隅に置いておいて、一週間全く読まないとすれば何と、もったいない事でしょう。詩篇119:105に「あなたのみことばは私の足のともしび、私の道の光です。」とあるように、キリストに従うこと、すなわち、聖書のことばをよく読んで、みことばに聞き従う人は、神の知恵に満たされ、祝福の道を進んで行けるでしょう。

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